アイデア出しにおいて、切り口が大事ということはわりと書いているし、そう言っています。僕がですね。
これも冷静に考えると「切り口」って何かですが、「考え」であるし、または「考え方」という見方でも視点でもいいのですが、そのものなんですよね。
カップラーメンの待ち時間の考え方から切り口を取り出す
具体例で考えてみます。
床屋さんで店主さんと楽しく話すのですが、そこでカップラーメンの話がでてきました。カップラーメン自体が好きかどうかでなく、その待ち時間ですね。
僕は「カップラーメンとかって3分くらい待ちますよね」
床屋さん「いや、待たないですよ」
僕「?マジですか?」
ということで、僕は律儀に額面通り「3分」待つものだと、受け止めていたんですね。
どうも話を聴くと、「早めに」というので、「それって、3分よりちょっと前くらいってことですか?」というと、「いや、湯を入れてすぐとか混ぜればいけますよ」というわけです(笑)
ここで、切り口とは何かですが、考え方としては、
A:カップラーメンは待ち時間通り待って食べるもの
B:カップラーメンの待ち時間ではなく、自分が食べたいのを加減して食べる(入れてスグでもOK)
というところがあると。
ここで、Aがよい、Bが悪いというのでなくて、またはAが悪いとかBが良いでもないですと。視点が違う、考え方が違う、考えが違うっていう理解です。
ここで話として「あーカップラーメンの話ね」だと、具体度がそのままで「切り口」化できてないんですよ。できてないというか足りないというか。
抽象化する必要があるわけです。
つまり、「カップラーメンの待ち時間」でなく「指定された時間を待つ」でもいいし、「指示に従う」でもいいし。または「自分でコントロールして調整する」という話でもいい。伝わりますか?
抽象度が高いとは、具体的な話A、B、Cを網羅できるということです。当然抽象度が高いものだけを持ち運ぶことはできないはずです。ここで「指示に従う」としても、「それはどういうこと?」という具体的なことを求められるはずです。その時に、具体的には「カップラーメンの待ち時間などがあるよね」という展開ができると。
僕は具体→抽象は圧縮といって、抽象→具体は展開とかって言葉を当てて使っています。
具体的な話を紐づけたり抽象化していくのが好きかどうか?
はい。僕は大好きなんですね。だから、人の話を聴けるのかもしれない。当然この「切り口」が見いだせないとイライラするか(笑)、なんだろう「それが見えるまで聴く」みたいなことですよね。実際には、話が面白いとは「そういう考えが見いだせるか」かなと。
経験則ですが、全く自分の考えがないです、という人はレアです。多くは建前でごまかす?か、本音を言ってはいけないという関係性ですよね、言いづらいとかがあると。僕も別に初対面の人に全部話すぞ!とかもないし、相手の理解度や状況に合わせているわけです。雑にいえば「全部丁寧に会話しているわけではない」って感じです。もっと雑って感じでいいかなと。
好きというか大好きなんじゃないかと思ったのは最近です。都度確認する感じではありますが、多分これ人によっては「そんなこと話す時にしてるんだ」って驚く人もいるんじゃないかと。とくに人と話すのが苦手という人はそういう見え方なんだろうと。だから、ここでも「見方」ですが、そこが違うんですね。話はそれだけです。
あ、当然、人との会話を楽しんで好きになりましょう、なんて説教でもなくて(笑)やってみて楽しくないなら無理しない程度で。ただ楽しんでいるってことはこういう感じの見え方ですよって話です。
そのうえで、こういう考え方を集めるとか、面白いなあといちいち、逐次思えるのであれば、あなたがですね、多分アイデアマンです。色々な視点や見方ができるので、仮にそんな仕事をしていなくても、プライベートでもなんでも、多分アイデアに困らないし、色々な見え方が勝手にストックされている感じなんですよ。多分ですけどね。
未体験なら想像するしかないが、想像するためには経験が要る
ここで矛盾するのですが、「カップラーメンの待ち時間を守らない」ということがない、というのが僕だとします。むしろ伸びがちなものを食べている気がしていますが(笑)
そういう人はまさに「カップラーメンをお湯を入れてすぐ食べる」経験がないわけですよね。これが未経験問題というか、一生未経験になると。だから、やれるならやってみる、またはやれないので「そうなると、麺が硬いのですかね?」などと、思ったり、自分の今までの経験で推測して会話する、または違うところで考えられないかと想像する。って話です。
なので、経験ってすごいことをしないといけないと思ったりしませんか?でもそうでなくて、経験自体が尊いというか。人によって全然違う経験もあれば、別に日常っぽいのだけど、感じる、考えることは無限なので。例えば、散歩するでも、そこで考えていることってめちゃくちゃ人によって違うわけです。同じものを見ても全然違うことを感じるのが「普通」だと僕は思うので(これも考え方ですけどね)。
だから、カップラーメンをすぐお湯入れて食べる経験がないから(笑)卑屈になるとか、経験がない!って焦ることもないんですよね。だからこそ、やれることをやったり、面白いとか楽しいとか思えたらそれは「かなり大事にしたほうがいい」でしょうし、興味がないことも「へー面白い面もあるんだな」くらいで捉える感じで練習する感じですよね。
例えば、自分の一次経験は大事ですけど、宝です。けど、二次経験、つまり人の話として、今回なら床屋さんですが、人の話を得て「疑似体験」できる。床屋さんの目線で世界を見られる。これめちゃくちゃ面白くないですか?分かりやすいのは映画とか、小説とかですが、そういう「物語」に入らなくても、断片から行けるわけです。まあやりすぎると疲れますので、適度ですけど。
そういう経験も増やせば、人との話がニ度、三度美味しいというか楽しめるわけです。同じ話だなというときも、違うものがあるかもしれないとかって感じでも楽しめるというか。
なので、自分体験は大事にしつつも、人の体験も面白がると、ニ倍というよりも二乗で楽しいというか。どんどん楽しくなると。インプットが一杯集まってきてって感じですよね。
というわけで、切り口を意識していればこういうのって勝手にできる・・・とは流石に思ってません。これ訓練すればできるというか。最初は誰でも初心者なので、最初は考え方を意識して、それを次に取り出して、集めて、次は切り口で他のものを見たり自分の経験で言えないか。再編集ということで、「あ、まさかあのときのあれは違う意味があったのだ」とかってあるわけですが、それがまさに切り口の圧縮と展開というわけですね。