自分の言いたいことを飲み込んで、伝えることを薄める。はっきり言って、それには損失しかありません。
なぜなら、誰にもあなたの言葉が刺さらなくなるからです。
ぶっちゃけ八方美人に、本当のファンはつきません。これはnoteを書き続けていると、じわじわと実感することです。
永沢くんと野口さんが愛される理由
ちびまる子ちゃんを思い出してください。
主役はまる子です。でも、熱狂的なファンを持つのは永沢くんであり、野口さんだったりします。
永沢くんは腹黒い。自己中心的で、毒舌で、どこか小狡い。野口さんは暗い。独特の美意識を持ち、世界と一定の距離を置いています。
ふたりとも、主人公ではありません。優等生でもない。むしろ、いわゆる「好かれやすいキャラクター」とは正反対です。
それなのになぜ、こんなにも愛されるのでしょうか?
答えはシンプルです。癖を隠していない。
永沢くんの腹黒さは、作中で一切矯正されません。野口さんの暗さも、明るく変えられることなく、最後まで野口さんのままです。
その「変えられない癖」が、見る人に「本物だ」という確信を与えます。
キャラクターに嘘がない。作者がそのキャラクターを矯正しようとしていない。
だからこそ、読者は「この人はずっとこのままでいるだろう」という安心感を覚えます。その安心感が、熱狂的なファンを育てます。
なぜ人は癖のある人間に親しみを覚えるのか?
人は、完璧な人間より、癖のある人間に親しみを覚えます。
なぜでしょうか?
自分の中にも、似たような癖があるからです。
腹が立つと顔に出てしまう。人とズレた感性を持っている。暗い部分がある。そういう「隠したい自分」を、永沢くんや野口さんが堂々と体現してくれています。
だから「ここに自分がいる」と感じる。そしてその感覚が、熱狂的なファンを生みます。
完璧なキャラクターは眺めるものです。でも癖のあるキャラクターは、自分を重ねるものです。この違いが、「応援したい」という感情を生むかどうかを分けます。
noteでも、まったく同じ現象が……
「好かれようとした文章」はなぜ読まれないのでしょうか?
みんなに届こうとした言葉は、誰にも届きません。当たり障りのない内容は、当たり障りなく流れていきます。尖った部分を削れば削るほど、引っかかりがなくなる。引っかかりがないものは、記憶に残りません。
逆に、あなたの偏り・こだわり・暗さ・ズレ。そういうものが滲み出た文章は、特定の誰かの「ここに自分がいる」を呼び起こします。
1000人に「まあいいね」と思われるより、10人に「これは私のことだ!」と思われる方が、深いつながりが生まれます。
noteで長く続いている書き手を観察すると、共通点があります。万人受けを狙っていないことです。むしろ「この人は好き嫌いが分かれる」という個性を持ちながら、それを隠そうとしていません。その姿勢が、特定の読者に強く刺さり続けます。
もしあなたが何かを偏愛しているのなら、それこそが強み。隠すなんてもったいない。惜しみなく晒した方が、読み手に深く刺さるのです。
癖を隠さないことは、自己受容の実践です
「癖を隠さない」とは、自己受容と同じ構造をしています。
自分の暗い部分、偏った部分、格好悪い部分を「それでも書く」という行為は、そのままあなたの自己受容の実践です。
そしてその痕跡が文章に残ったとき、読んだ人の中にある似た癖が、静かに共鳴します。
「共感した」という感覚の正体は、多くの場合、「この人も自分と同じ部分を持っている」という発見です。そしてその発見は、書き手が自分の癖を隠さなかったときにしか生まれません。
永沢くんが愛されるのは、永沢くんが「永沢くんであることをやめなかった」からです。その結果、スピンオフされ映画にまでなりました笑
あなたがあなたの癖を隠さないとき、それは誰かの居場所になります。
あなたにしか書けない文章がある
うまく書こうとしなくていいです。整っていなくていいです。
あなたの偏りを、あなたのズレを、あなたの暗さを、そのまま書いてみてください。
あなたには、まだ隠している癖がありませんか。
今度、それを書いてみませんか?