おはようございます!ヒロです。
皆さん、相手の気持ちに配慮し、自分の気持ちを大切にしていますか。
最近、カウンセラーさんのSNSでも、相手に合わせると心が疲弊するとか、自分の気持ちを大切にするとかと記載されるのをよく見かけますが、ここで勘違いしてはいけないと私は思います。
ここを勘違いすると、別な意味で生きづらさを抱えることになります。
他人の気持ちを考えること
他人の気持ちを考えることは、他人にどう思われるか気にすることではありません。
また、他人に合わせることでもありません。
アダルトチルドレンで言えば、他人に好かれたいから配慮するとよく言いますが、それは根底の動機が他人に好かれたいというだけで、配慮そのものは他人からの評価とは無関係です。
純粋に他人への優しさ、配慮であるならば、むしろ良いことです。
そして、その配慮を行う際、他人の気持ちを考えることは必須です。
考えることによって、相手が何を望んでいるか、何を必要としているかが分かる訳ですし、その考える行為自体が配慮と言えます。
もし、考えなかったら、最悪、善意の押し付け、独善にもなります。
そして、他人の気持ちを考えること、他人に合わせることも無関係です。
他人の気持ちを考えることは、上記の通り、相手の希望や感情を理解しようとすることであり、他人に合わせるとは、単に他人の言うことや行動に従い、自分の気持ちを胸に留めると言うことです。
他人に合わせることも時には必要でしょうが、突き詰めると自分を押し殺すことにも繋がります。
心が疲弊するとはそういう意味です。
自分の気持ちを大切にすること
自分の気持ちを大切にするのは、他人の気持ちを考えないことではありません。
自分の気持ちを大切にするということは、自分の気持ちに正直になる、自分が何にどういう感情を持つかときちんと見つめる、その気持ちを他人にも表現するということだと私は思います。
他人の気持ちを考えるとは、上記の通りです。
自分の気持ちを大切にしていても、他人の気持ちを考えなくてよい訳ではありません。
そこを混同すると、他人へ全く配慮しない、他人への思いやりに欠ける人間にもなると思います。
自分の気持ちに正直に生きられるので、アダルトチルドレン特有の生きづらさは無くなるかも知れませんが、別な意味での生きずらさを抱えることになるでしょう。
いくら自分の気持ちを表現するのが大切とは言っても、表現する事で相手がどう思うかと考える事は必要です。
アダルトチルドレンは、それを気にしすぎるのが問題なのであって、それ自体が問題ではありません。
まとめ
他人への思いやりが溢れる人、配慮する人は心を病みやすい、だから自分の気持ちを大切にというのは、思いやりや配慮が根本の原因ではないと私は思います。
思いやりや配慮する根底の動機が、他人に好かれたいからというのが本当の原因だと思います。
他人からの評価をずっと気にしているからです。
厳しいかも知れませんが、それは本当の思いやりや配慮ではありません。
主眼が自分だからです。
また、思いやりや配慮を、自分の気持ちを押し殺す事と混同している可能性もあります。
それで心を病むのは、思いやりや配慮が原因ではありません。
原因は、自分の気持ちを押し殺すからです。
思いやりや配慮とは、まず相手の望みや希望、気持ちを考えること。
そして、その気持ちに沿った言葉をかけたり、行動をすることです。
それは、自分の気持ちを大切にする事、他人からの評価を気にするのとは別です。
それが出来ないという方は、練習が必要です。
コミュニケーションは練習次第でどうとでもなります。
話すのが苦手という方は、まずはメールからでも良いのです。
少しずつ良くしていきましょう('◇')ゞ