生きていると、なんで思うようにいかないんだろう、どうしてこのタイミングで起きるんだろう、そう思う瞬間・出来事は誰にでもあると思います。
そうなんです。
人も物事も、そう簡単には自分の思うままにはならない。
良い事もそうです。
えっ?このタイミング?といった不思議なタイミングで幸運が舞い込むことも、多々あります。どうせならあのタイミング出来てほしかったーって思う事も、私は多々あります(笑)
良い事・悪い事、どちらにせよ、そこをしっかり受け入れ前進していくことが出来れば、後々、あのタイミングだから良かったのだ。あれは間違いなく必然であったのだ。人間がコントロールできるものなんてたかが知れているのだ。そう気づきワクワクしてしまうのもまた不思議で面白く好きですが、
「変えられるもの」と「変えられないもの」があり、この違いを頭だけではなくしっかり腑に落としていかないと、色々な歯車がずれていき、うまくいくものもいかなくなってしまいます。
変えられないから不幸というわけでも、変えられるから幸せという事でもないですし、良い悪いの話でもないです。
ただ、この世には、変えられるもの、変えられないものがある。
そういうものなんだと腑に落とす、ただ受け入れるといったイメージです。
とはいえ、コントロールできるはずでしょ!だって頑張って生きてるんだから!って思う事もありますね。
例えば・・・
短期間で思うような成果結果がでないからと早々に諦め後に訪れる可能性のあったチャンスきっかけを逃してしまう
相手の為だと言いながら自分の価値観を押し付け相手の領域に踏み込み過ぎる
自信の無さから相手を監視したり束縛したがる
思い通りにいかないと感情的になったり攻撃的になったり支配的になるetc
誰であっても大なり小なり経験があるものだと思いますが、特に忘れてはいけないのは、「自分を変える事は出来ても他者は変えられない可能性がとても高い」という事です。「きっかけ」になり得ることはあっても、です。
「あの人のおかげで自分は変われた」そんな言葉を聞くことがあります。
それは、「変えた」というよりも、「変わる為のきっかけ」になった、その背景に、ご本人が「変わろう」と心から願い行動を起こしたからこその結果=そもそも当人が心の底から変わろうとしない限り、周りがどれだけ誠心誠意尽くしても、まったく意味がないのです。そもそも、人は変わりにくい生き物でもありますので。
ここを理解しないと、「自分を否定された(自分が悪い)」ように感じ傷つき自分を正当化する為に躍起になって相手を変えようと奮闘したり、本人が変わる必要性を感じていないのに「相手を理解してあげられるのは(この問題を解決できるのは)私しかいない」と過度な押し付けや自己犠牲を払う、結果、どんなに頑張っても報われなさや虚しさに苛まれていく事が、あるかもしれません。
思い通りにいかない時
自分の問題なのか
相手の問題なのか
変えられるもなのか
変えられないものなのか
しっかり見極め切り分けをしてみると良いかもしれません。
だからといって、「希望的観測(客観的な根拠より、自分にとって望ましい結果を高く見積もる判断)」を持って生きる事を否定しているわけではないです。
だって、大切な人であればなおの事、信じたいですよね。
未来は今のこの瞬間の積み重ねなので、その為に今出来る事があるならばと思うこともありますよね。
でも、盲目的に「希望的観測」を持って動く事はお勧めしません。
自分の思うような結果にならなかった場合、自己憐憫(自分を哀れで不幸に思う事)に陥りやすくなるからです。
どんな結果になろうとも、どんな結末を迎えようとも、私は私の意思でこの判断決断を下している、だから後悔しない。
そう思えた時だけにすると良いと思います。
既に足を踏み込んでいるのであれば、途中からでもそう思える自分に生まれ変わっていく必要があります。
人はどうしても、目に映る出来事から幸・不幸を考えがちですが、そんなこともないです。
苦しみの中にいながらも、光を見つける方はたくさんいます。
傷つきながらも自分を見失うことなく堂々と生きる人たちもたくさんいます。
失敗や苦労を積み重ねて、人間性がより豊かになっていく人たちもたくさんいます。
周囲から見て可哀想と思われている人が実はとっても幸せである事も全然あります。
目に見えないところに宝物が、真実が、豊かさが眠っている事は、よくありますね。
大事なのは、「何が起きているのか」ではなく、「そこから何を学び気づき自分に何を与えてあげられるのか」です。
相手がどうであるのかではなく、世間が周りがどういうのかではなく、最終的に「自分はどうありたいのか」です。
その上で。
そのコントロールは本当に必要であるのか。
自分を心から笑顔にしてあげる為の選択であり行動なのか。
それとも、ただのエゴなのか。
向き合うべきは、本当に相手なのか。
それとも、自分なのか。
考えてみるのもよいかもしれません。
ではまた!
natsu