【何がしたいかわからないのは、あなたに価値がないからではありません】
ここ数日、子どもの人生について書いてきました。
「子どもの人生を、子どもに返すと決めた日」
そして、
「子どもの舞台なのに、いつの間にか親が主役になっていた」
というお話です。
子どものためと思って、先回りして準備する。
失敗しないように、親が正解を教える。
習い事や進路についても、子どもより親の方が一生懸命になっていく。
親に悪気があるわけではありません。
むしろ、子どもの将来を心配し、できるだけ困らない人生を歩んでほしいと思っているんですよね。
私自身も、そうでした。
けれども、親が正解を出し続けると、子どもは自分で考える機会を失っていきます。
「私はどうしたいのか」ではなく、
「お母さんは、どうしてほしいのか」
を考えるようになります。
たとえば、子どもが何かをやりたいと言ったとき、
「あなたには無理よ」
「どうせすぐに飽きるでしょう」
「そんなことをして何になるの?」
「お母さんの言うとおりにしておきなさい」
と言われ続けたら、どうなるでしょう。
子どもは、自分の考えを口に出す前に、
「こんなことを言ったら、また否定される」
と、自分の中で消すようになります。
そのまま大人になると、
「何がしたいのかわからない」
「自分には何もない」
「アイデアが浮かばない」
「何を選べば正解なのかわからない」
という悩みになって現れることがあります。
でも、本当に何も浮かんでいないのでしょうか。
もしかすると、浮かんだ瞬間に、
「私には無理」
「こんなことを言ったら笑われる」
「失敗したら恥ずかしい」
と、自分で消しているのかもしれません。
考える力がないのではありません。
自分の考えを出しても大丈夫だと思える環境が、なかっただけかもしれないんです。
親が、子どもが自分の言うとおりにしてくれることで安心する。
子どもは、親の言うとおりにすることで関係を壊さないようにする。
この関係が続くと、親も子どもも、お互いから離れにくくなります。
これが、親子の依存や共依存として現れることがあります。
そして、この関係は、親子の間だけで終わるとは限りません。
仕事を選ぶとき。
人間関係で何かを断るとき。
自分の商品やサービスを作るとき。
自分の考えを発信するとき。
大人になってからも、
「誰かに正解を教えてほしい」
「これで合っていると言ってほしい」
「誰かの許可がないと動けない」
という形で、同じ苦しさが続いていくことがあります。
収入の問題も、心だけで片づけられるものではありません。
働く環境や家庭の事情など、さまざまな問題があります。
ただ、稼ぎたいと思って方法を学んでも、なかなか行動できない。
人から勧められたものを始めても、途中で止まってしまう。
流行っている方法を次々に試しているのに、自分が何をしたいのかわからない。
そんなときは、稼ぎ方を知らないことだけが原因ではないのかもしれません。
仕事をつくるためには、
「私は誰に、何を届けたいのか」
「私は、どんな方法なら続けられるのか」
「今日は何をするのか」
を、自分で決めて行動する必要があります。
自分の考えを信じられなければ、一つ決めるたびに誰かの答えが必要になり、動けなくなってしまいます。
自分の考えを取り戻すためにできることの一つが、ノートに正直な気持ちを書いていくことです。
きれいな文章でなくても構いません。
「本当は嫌だった」
「本当はこうしたかった」
「誰にも否定されないなら、私はこれをやりたい」
「この場合、私はどうしたいのだろう」
毎日少しずつ、自分に問いかけていきます。
ところが、長い間、自分の気持ちを抑えてきた人は、誰にも見せないノートの中でさえ、正しいことを書こうとします。
自分の気持ちを聞かれても、
「わかりません」
という言葉しか出てこないこともあります。
それは、何も感じていないからではありません。
安心して本当の気持ちを話せる場所が、これまでなかったのかもしれません。
私が対話の中で大切にしているのは、その人に正解を教えることではありません。
「そのとき、どう感じましたか?」
「本当は、どうしたかったですか?」
と問いかけながら、その人の中にある言葉が出てくるのを一緒に待つことです。
誰かに価値をつけてもらわなければ、あなたに価値がないわけではありません。
誰かに答えを教えてもらわなければ、何もできない人でもありません。
考える力も、選ぶ力も、あなたの中にあります。
ただ、長い間、出してはいけないと思っていただけかもしれません。
子どもの人生を、子どもに返す。
そして今度は、自分の人生を、自分に返していく。
そのための最初の一歩が、
「私は、本当はどうしたいのだろう」
と、自分に問いかけることなのだと思います。