子どもの習い事が、親の承認欲求を満たす舞台になっていた
あの場所で一番前に出たがっていたのは、子どもたちではなく、親たちだったのかもしれません。
正直に言えば、私もその一人でした。
娘がまだ幼かった頃、ある習い事をしていました。
小さく始まったその活動は、やがて一つの大きな本番に向かって、みんなで作り上げていくものになりました。
週末になると、親子でそこへ通う。
送迎だけでなく、保護者の協力が必要なこともたくさんありました。
子どもが一生懸命取り組んでいるのだから、親もできることを手伝いたい。
最初は、そんな自然な気持ちだったと思います。
親の関わり方には温度差がありました
頼まれたことだけをする人。
送迎を中心に支える人。
中心になって動く人。
ほとんど関わらない人。
保護者にも、それぞれの家庭の事情があります。どの関わり方が正しい、間違っているという話ではありません。
ただ、みんなで一つのものを作り上げていく場所では、その温度差が少しずつ人間関係に表れてきます。
誰かがやらなければ進まないこともある。
一生懸命動く人ほど、「どうして私ばかり」と感じることもある。
その一方で、子どもがどの位置に立つのか、どんな役割を任されるのかによって、親の態度まで変わっていくことがありました。
本来は、子どもたち全員で一つのものを作るための場所です。
それなのに、いつの間にか全体の調和よりも、
「うちの子を、もっと見てほしい」
「うちの子が一番頑張っている」
そんな親の思いが、前へ出るようになっていきました。
子どもの評価が、親の評価になっていく
子どもが認められたら、親もうれしい。
それは、とても自然なことです。
けれど、子どもが大きな役割に選ばれることが、親自身の評価と結びつき始めると、少しずつ関係が変わっていきます。
子どもが目立てば、私も認められたような気持ちになる。
子どもが選ばれなければ、私まで軽く扱われたように感じる。
すると、親は子どもを支える立場を越えて、指導する側と同じように先回りしたり、子どもの世界へ深く入り込んだりするようになります。
私も、その輪の外にいたわけではありません。
娘が認められるとうれしかった。
娘のためと思って、先回りして動いたこともありました。
物事がうまく進むように、私が頑張らなければならないと思っていました。
けれど、その中には娘を支えたい気持ちだけでなく、娘を通して私自身も認められたい気持ちが、なかったとは言えません。
娘は、そんな私に順応してついてきてくれました。
だから当時は、それほど問題だとは思っていませんでした。
けれど、子どもが親に合わせられたことと、その関わり方がよかったことは、同じではありません。
親の言葉が、子どもの人間関係を作っていく
その場所では、保護者同士や指導する人への不満が、あちらこちらで話されることもありました。
こちらで誰かの不満を聞き、別の場所ではまた違う人の話を聞く。
その間に挟まると、本当に苦しくなります。
そして、その言葉は活動の場所だけでは終わりません。
家庭へ持ち帰られ、子どもの前でも話されます。
「あの子はこうだから」
「あの親はこういう人だから」
子どもは、親の言葉をよく聞いています。
最初は仲間だった相手を、親の言葉を通してライバルとして見るようになることもあります。
親が苦手だと言った人を、子どもも警戒するようになることもあります。
全体で協力するはずだった場所に、比較や競争が持ち込まれ、子ども同士の関係まで変わっていくのです。
小さなコミュニティの中で起きていることですが、私は、こうして社会の人間関係も作られていくのだと思います。
誰かより上に立つこと。
自分の子どもを特別に扱ってもらうこと。
選ばれることで、自分の価値を確かめること。
親がその価値観を持ち込めば、子どももまた、それを人との関わり方として覚えていきます。
親子の依存・共依存は、こんなところにも表れます
親子の依存や共依存というと、いつも一緒にいることや、子どもを家から出さないことを想像するかもしれません。
けれど、それだけではありません。
子どもの評価と、親である自分の価値が混ざってしまうこと。
子どもが選ばれないと、自分が否定されたように感じること。
自分の不安を消すために、子どもの活動へ先回りして入り込むこと。
そして子どもも、親を安心させるために期待に応え続けること。
私は、こうしたところにも、親子の依存・共依存の小さな始まりがあると思っています。
娘にとって区切りのよい時期に、私たちはその場所を離れました。
今振り返ると、もっと役割を分けることができたと思います。
頼まれたことをする。
必要なときには協力する。
けれど、子どもが経験するはずのことまで、親が先に引き受けない。
特別な立場を求めず、全体の中で自分の役割を果たす。
一緒に作り上げることと、子どもの世界に親が入り込みすぎることは違うのです。
子どもの舞台から、親が一歩降りる
前回、私は「子どもの人生を、子どもに返すと決めた日」について書きました。
子どもの人生を返すというのは、家を出た子どもを追いかけないことだけではありません。
子どもの活躍を、自分の評価にしないこと。
子どもの結果で、自分の価値を確かめないこと。
そして、子どもの舞台から、親が一歩降りること。
私に必要だったのは、そこだったのだと思います。
あの頃の私を、悪い母親だったとは思いません。
娘を大切に思い、私なりに必死だったのです。
ただ、愛情の中に、自分でも気づかない承認欲求が混ざっていました。
それに気づけたとき、親と子どもの人生を少しずつ分けられるようになりました。
子どもを大切にすることと、子どもの人生を自分のものにすることは違います。
その境目は、親である自分の心を見つめなければ、なかなか分からないものなのだと思います。
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子どもとの距離が分からなくなっている方へ
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これは、母親としての良し悪しを決める診断ではありません。
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