こんにちは。元航空自衛官の熊埜御堂(空曹)です。
今日は私の地元では雨が降っています。
久しぶりの雨に外出をどうしようか?
などと思いながら自宅で今日も記事を書いています。
私は在宅ワークなので基本は自宅で過ごすことが多いですが、読者さまはお仕事は通勤が基本なのですね。
昔が懐かしいです。
さて今回の話題はみんな大好き!!ブルーインパルスのお話です。
ブルーインパルスを知らない人は誰もいないですよね。
今から約10年前の東日本大震災の時に原隊である松島基地も被災しました。
しかし、ブルーインパルスの部隊、第4航空団第11飛行隊は九州新幹線「さくら」のイベントに参加するために九州にいたので被災を免れたのです。不幸中の幸いです。
しかし、原隊である宮城県の松島基地が被災したために九州にある芦屋基地と言うところを拠点にその後は活動を続けました。
そして復興後、宮城県の松島基地に帰投します。
誰よりもブルーインパルスを待ち望んでいたのは地元の住民の皆さんや子供たちです。
こういう話はあまり知られていないために今回少し紹介させていただきました。
東京2020、来年は是非、東京オリンピックを開催して日本に元気を届けてほしいものですね。
ブルーインパルスは基本は戦闘機に搭乗する任務に就いていた隊員だけが飛行を許されています。そして3年間しか任務につけないのです。
戦闘機のパイロットの任務はおよそですが30代から40代前半まででその後は地上勤務があります。除隊して民間機のパイロットの道を選ぶ隊員もいます。
パイロット出身の基地司令や航空幕僚長経験者もいて私たち航空自衛隊にとってはあこがれの存在です。
その中でも特に尊敬されるのがやっぱりブルーインパルスですね。
別名、レッドドルフィン、青と白のペイントは当時、公募でデザインを日本中から集めた時に女子高生4名の合作として採用されたのです。
ちなみにブルーインパルスを作った人物がみんなご存じの源田実氏です。
戦後、元気のなくなった日本に「もう一度、日の丸を」と強い信念でブルーインパルスを編成したのです。
源田実氏については賛否がありますが、航空自衛隊員から見れば尊敬する人物ですね。
ブルーインパルス生みの親でもあり、航空自衛隊育ての親です。
それは源田実の終戦後の人生は航空自衛隊に入隊して、1964年の東京オリンピックの時にF-86Fという戦闘機を使って曲技飛行を成功させて日本中に元気を届けてくれたからです。
その後は出世して第3代航空幕僚長です。
いやー本当に凄い。
壮絶な人生だとも思っています。
今も航空自衛隊では第35代航空幕僚長丸茂吉成空将が任務に臨んでいます。
群馬県出身の防衛大学生27期です。
山口県と群馬県では深いつながりがあるので親近感がわきますね。
山口県防府市にある日本三大天神のひとつ、菅原道真公を祭っている防府天満宮には群馬の父と呼ばれた楫取元彦とその妻、美和子さんの銅像があります。
月参りではいつも参拝後にご挨拶をさせてもらっています。
今の時代もまるで明治時代の激動の世の中を生きているような気持ちですが、元自衛官として恥ずかしくない人生にしたいものですね。
コロナ渦の中での困難な任務は想像以上に厳しいものだと感じています。
しかし、自衛隊員の努力があってこそ、今の平和がある。
私は自衛隊に育てていただき、人生の多くを自衛隊で学びました。
良い思い出も悪いことも全部含めて今は自衛官であったことを誇りに思い、その思いを兄弟の子供の小学生の男の子に伝えているのです。
いつかブルーインパルスの話も聞かせて自衛隊を知ってほしいと願っています。
今日のお話はここまでです。
楽しんでいただきましたか?
明日も記事を書きます。
お楽しみに!!
最後までご覧いただいて、いつもありがとうございます。(*^^)v
元航空自衛官の熊埜御堂(空曹)