1. 現代の私たちの日常:約束が守られるとき
みなさんは普段、友達や恋人とこんな約束をしたことはありませんか?
「週末の土曜日、夜7時に駅前のカフェで待ち合わせね」
「うん、わかった。絶対遅れないようにするね!」
そして当日、時間通りに相手がカフェのドアを開けて現れる。
「お待たせ!ごめんね、少し早着いちゃった」
「ううん、私も今着いたところ。じゃあ、席取ろうか」
……なんてことのない、ごく普通の日常の一コマです。
このとき、私たちは「相手が本当に約束の時間に来るかどうか」を、心のどこかで信じているからこそ、わざわざ時間を合わせて同じ場所に行くことができます。
もし、相手が何の連絡もなく平気で2時間も遅刻するような人だったらどうでしょう? 次から「もうこの人と約束するはやめよう」と、私たちは心に壁を作ってしまいます。
では、そもそもこの「約束」や「ルール」って、人類の歴史の中でいつから、何のために始まったのでしょうか?
今回は、遠い昔の砂漠の王国から、私たちの心の中にある「目に見えない防衛本能」の謎を解き明かしていきましょう。
2. 歴史の授業:ハンムラビ法典が生まれた世界
時は今から約4000年前、紀元前18世紀のメソポタミア。
いまの地図でいうと、中東のイラクあたり、ティグリス川とユーフラテス川という2つの大きな大河にはさまれた、広大な砂漠と泥の大地です。
当時のメソポタミアは、文字通り「弱肉強食」の世界でした。
農地をめぐる争いが絶えず、もし誰かが他人のモノを盗んだり、約束を破って裏切ったりしても、そのときは警察も法律もありません。だから、やられた側は「倍にしてやり返してやる!」と、一族総出で血みどろの報復戦争をはじめてしまう。これが日常茶飯事でした。
暴力がすべて。
このままでは人間社会が崩壊してしまうと危機感を抱いた当時のバビロン第1王朝、ハンムラビ王が、ある画期的なアイデアを思いつきます。
それが、世界史の教科書にも必ず出てくる「ハンムラビ法典」です。
黒い巨大な石の柱(石碑)に、当時の法律が文字で刻まれました。その中に書かれていたのが、あの有名な言葉です。
「目には目を、歯には歯を」
この冷徹な一言は一見すると
「やられたら、同じように倍にしてやり返せ!」という意味
しかし実際には逆の目的がありました。
当時の乱暴な世界では、
「顔をちょっと殴られたから、相手をぶっ殺してやる!」みたいな
「やりすぎの報復」が当たり前でした。
しかしそうではなく、「やられたら、『同じ分だけ』やり返していいけど、それ以上はダメ!」という、暴力の限界(ストッパー)をルールとして決めたのです。
つまり、ハンムラビ法典とは、人々がむやみに殺し合わないようにするための、人類史上初のルールブックだったわけです。
では日常に目線を戻してみると関係の構築には基本的には法律がないにもかかわらず
どうして「連絡がこない」、「言ったことが守られない」ということにあんなにもパニックになり、心の中に見えない防衛の壁を築いてしまうのでしょうか?