「愛情」というのは、これらの上に積み上がってゆく、深まってゆくと思う。
育った家庭というのは、それぞれ様々であれど、それらがない家庭だと、
家族という名前は付いていても、中身は育っていない。だからいずれ崩壊してゆく。
個人との関わりも同じく、ベースに安心、信頼、信用がなければ、繋がっていたとしても、その程度の温度。
多くの親は、子供に、勉強して、いい大学に入って、いい企業に入りなさい!とレールを引く。私はそれはしてないけれど、本人は勝手にそうなった。
そう、社会を見て、気がついたんだろうなと思う。
それは、とりあえずの「信用」を得るための証明であるから。
良い大学に入れば、大企業にも入社でき、表向きの「信用」これだけ頑張った、がんばれた人である「証明」ができる。
中身がどうであれ、とりあえずの「信用」が獲れるメリットは大きい。
だからと言って、そこから各個人なんかしらあるのだけど。
人はまず他人から信用されないと、相手もされない。
仕事は人柄関係なく、「物事」が円滑に回ればそれでいい。それが信用につながる。
それ以外で、第六感が・・とかあるかもしれないけれど、人は嘘もつく、裏切りもする。
表向きを演じて、裏切ることも騙されることもある。そして何より人は「お金」が絡むとそれがなかったような関係にはなれない。
生活するには土台がお金である以上、ないと喧嘩や亀裂の元になる。
ダブルインカムもあれど、家事、子育てという対価がみえにくいものに関して、そこに価値をおかないと、不満、そして溝ができ亀裂となり、どうでもいいけど同居者になり・・・愛し合うとは真逆。
これが多く発生しているわけだけど、日本は特に「縦社会」戦前からも縦の関係だったから、下は上が死ぬまで我慢するしかないという。
でようやくここにきて、変化し始めたわけだけど、
日本のいいところ、物づくりに関しては世界で「信用」がある。
ただ人間関係については、いい部分だけ教えられてきたこと、戦争を美談で終わらす。臭いものには蓋。
その蓋を開けると、特攻隊は、上官から命令され、ヒロポンという覚醒剤を飲み、飛行機に乗って散ったということ。
上官、「お前が行けよ」偉いんだから!なんだけど、それは通用しなかった。
人と人として繋がっていれば、そもそも戦争なんてできない。
ただ「集団」になると違ってくる。仲間意識、同族意識とか。
それが争いの元にもなる。
そんな残酷な部分を持っている人間。
それは表向きではないものの、水面下で起きていること。
「救世主」なんて現れない。自分で自分を救うしかない。
同じ周波数を持った人としか関われない。
人間も動物。
おばさんになっても、中身は変わらない。体験することによって、体感すること。
そして、人と人は、向き合う人によって「でてくる感情や感覚」が違うということ。
心揺さぶられる相手がいたら、最後に残るのは、ダイヤモンドか石ころか?!
塗り重ねっていた上に、どんな色が残るのか。
現実の体験としてやってくることに対して、イエスかノーか!その選択をしないと先には進めない。
曖昧もいいけれど、答えが出せないそんなものありだけど、何かしらの痼りは残ったまんま、それでも選択はやってくる。
あーあ
生まれて死ぬだけ!
楽園に住みたいですよねー!
人は自由を求めなくても自由な部分。今日、一日、何を考え、何に時間を使い、何をしてゆくのかは自由。
嫌いな上司がいても、どのように扱うかは個々の自由。自由と責任はセット。