SNSを開くと、中学受験の話が流れてきます。
偏差値、過去問、模試の結果。第一志望に合格した報告と、それに並ぶ「おめでとう」のコメント。
親御さんの努力も、お子さんの頑張りも、本物だと思います。
ただ、私はそれを見ながら、いつも同じことを考えています。
その子は、徳育と体育も、同じだけ育っているだろうか。
教育は、知育・徳育・体育でやるもの
これは私の持論ではありません。法律にそう書いてあります。
教育基本法 第2条(教育の目標)の第1号は、こうです。
幅広い知識と教養を身に付け、真理を求める態度を養い、豊かな情操と道徳心を培うとともに、健やかな身体を養うこと
一文の中に、3つ並んでいます。
知育=幅広い知識と教養
徳育=豊かな情操と道徳心
体育=健やかな身体
そして文部科学省は、学校で育てたい力を「生きる力」と呼び、これを「知・徳・体のバランスの取れた育成」だと説明しています。
バランス、です。どれか一つを伸ばせばいい、とは書かれていません。
いま、そのバランスはどうなっているか
数字を3つ並べます。
① 中学受験は、過去最高水準
2026年度の首都圏の中学入試は、小学6年生の児童数が減っているにもかかわらず、受験率は過去最高の19.1%。受験者数は推定約55,000人でした。
小学6年生の5人に1人が中学受験をする。しかもこれは一時的なブームではなく、2014年度を境に高止まりして定着している、と分析されています。
知育への投資は、間違いなく増えています。
② 子どもの体力は、下がり続けている
一方で、スポーツ庁の全国体力・運動能力調査では、小学生・中学生の体力合計点が、男女とも令和元年度から連続して低下しています。小学生男子は過去最低を記録しました。
原因として挙げられているのは、朝食欠食、睡眠不足、スクリーンタイムの増加といった生活習慣の変化です。
③ 道徳性が未熟な人が増えている。
最近の子どもは、挨拶ができない、謙虚さがない、先生や保護者のいうことを聞かないなどの、道徳性がない人ばっかです。
「知育の成功者」で終わってしまう子
数字が示しているのは、こういう状態です。
知育への投資は過去最高。体力は過去最低。徳育は制度はあるが、専門家がいない。
3つ並んで初めて「生きる力」なのに、1つだけが突出しています。
その結果、何が起きるか。
テストの点は取れるが、体力がなく、朝起きられない
偏差値は高いが、挨拶ができない
志望校には受かったが、店員に横柄な態度を取る
学歴はあるが、約束を守らない
こういう人を、私たちは何人も見ているはずです。
受験に勝っても、人として負けている。
そして残酷なのは、知育の成果は数字で測れるのに、徳育と体育の失敗は、後になるまで数字に出ないことです。合格発表の日には、誰も気づきません。
中学受験を否定したいのではない
誤解のないように書きます。
中学受験は悪いことではありません。 目標に向かって毎日机に向かう。できない問題を粘って考える。これは徳育の一部でもあります。「勤勉」「強い意志」は、学習指導要領の道徳の内容にも入っている徳目です。
問題は受験そのものではなく、受験だけになってしまうことです。
塾のために夕食が遅くなり、睡眠時間が削られる。外で遊ぶ時間がなくなる。家族との会話が「今日の模試どうだった」だけになる。
そのとき、体育と徳育が、静かに削られています。
家庭でできること
学校を責めても、明日は変わりません。道徳の専門教員は、明日には配置されません。
だから家庭でやるしかない、というのが私の結論です。
教育者の森信三は、家庭で最優先すべきことを3つだけ挙げました。
朝、自分から挨拶する
呼ばれたら「ハイ」とはっきり返事をする
履物を脱いだらそろえる
たったこれだけです。塾の宿題より、はるかに簡単です。
そして体育のほうも、特別なことは要りません。学習指導要領の体育科の目標には、こう書かれています。
心と体を一体として捉え、生涯にわたって心身の健康を保持増進し豊かなスポーツライフを実現する
心と体を一体として捉える。体を動かすことは、体力づくりだけの話ではないのです。早寝早起き、朝ごはん、少しの運動。これが心の土台にもなります。
受験勉強は、見られています。
模試の点数が出る。順位が出る。塾の先生が見ている。親が見ている。だから頑張れます。評価される場所では、誰でもある程度は頑張れるのです。
しかし徳育が問われるのは、誰も見ていない場所です。
誰も見ていない道に、ゴミを捨てるかどうか
誰も気づかない嘘を、つくかどうか
親がいないとき、約束を守るかどうか
店員に、どんな態度を取るか
ここには偏差値も順位もありません。採点者がいません。
だからこそ、ここでの振る舞いが、その人の本当の姿です。
徳は、説教では入らない
では、どうすればいいのか。
徳育は、道徳の授業で説教されて身につくものではありません。毎日の小さな反復で、身体に入るものです。
挨拶をする。返事をする。靴をそろえる。約束を守る。使ったものを元に戻す。
地味です。偏差値のように数字にもなりません。そして何より、誰も見ていません。
しかし、だからこそ意味があります。誰も見ていないところでできることだけが、その人の実力だからです。
学力は、その骨組みの上にしか積み上がりません。
知育と徳育、両方そろって、はじめて「知徳兼備」です。
受験の合格は、ゴールではなく通過点です。その先の何十年を生きるのは、偏差値ではなく、その子自身の骨組みのほうです。
お子さんが、誰も見ていないときに何をしているか。
そこに、教育の答えが出ています。
参考
教育基本法 第2条(教育の目標)
文部科学省「小学校/中学校学習指導要領 特別の教科 道徳」
文部科学省「小学校学習指導要領 体育科」
スポーツ庁「全国体力・運動能力、運動習慣等調査」
首都圏中学入試の受験率(2026年度)