塾を変えた。教材を変えた。勉強時間も増やした。
それでも、成績が上がらない。
原因は勉強のやり方ではありません。もっと手前にあります。
1. 私が現場で見てきたこと
先に、これは統計ではなく私の実感だと断っておきます。
学力の高い学校ほど、生徒の様子が違います。
挨拶をする。時間を守る。人の話を最後まで聞く。教室が荒れていない。忘れ物が少ない。
逆に、学力が振るわない学校では、そこが崩れていることが多い。
学力の差より先に、生活の差が目につきます。
同じことを感じている先生は、たくさんいるはずです。
2. ただし、例外はいくらでもあります
ここは強調して書きます。
学力が高くても、人としてどうかと思う子はいます。
勉強が苦手でも、驚くほど誠実な子もいます。
私は後者を何人も見てきました。成績が振るわない子を「徳がない子」だと言うつもりは、まったくありません。 そんな乱暴な話ではありません。
あくまで割合の話です。そして、割合には理由があります。
3. 「授業中に集中して聴く」は、徳育です
理由は単純です。
授業中、45先生の話を聞き続ける。
これは学力ではありません。
眠くても、姿勢を保つ … 節度、節制
つまらないと思っても、最後まで聞く … 礼儀、敬意
分からなくても、投げ出さない … 努力と強い意志
全部、道徳の内容項目に書かれている徳目です。
つまり——
授業を受けるという行為そのものが、徳育の実践です。
ここができていない子は、教室にいても、授業を受けていません。 座っているだけです。
同じ先生の同じ説明を聞いていても、入る量がまるで違います。
これが、1日6時間、年間200日、それが何年も続きます。
差がつかないほうが、おかしいのです。
4. 因果の向きは、逆かもしれません
ここが、この記事でいちばん言いたいことです。
世の中の見方は、たぶんこうです。
偏差値の高い学校 → 頭のいい生徒が集まる → だから雰囲気もいい
私は、逆だと思っています。
徳育が育っている → 授業が身に入る → 学力が伸びる → 結果として上位校にいる
「勉強ができるから、いい生徒」なのではありません。
「いい生徒だから、勉強ができるようになった」のです。
順番が違います。そして順番が違うと、打つ手がまったく変わります。
前者なら … 勉強させるしかない
後者なら … 徳育から手をつけられる
私は、後者だと考えています。
5. 正直に書いておきます
ここは、はっきり書いておかなければフェアではありません。
上に書いたのは、私の考えです。証明された因果関係ではありません。
国立教育政策研究所は、全国学力・学習状況調査で、生活習慣や規範意識に関する質問と教科の平均正答率をクロス集計して公表しています。そこには一定の関係が見られます。
ただし研究所自身が、これは相関であって因果を示すものではないと明記しています。
さらに、共通の原因も考えられます。落ち着いた家庭環境は、生活習慣も、学習環境も、同時に整えます。家庭の状況が、両方を押し上げているという説明も成り立ちます。
それでも私がこの見方を採るのは、教育の効果研究がそれを支持しているからです。
経済学者ジェームズ・ヘックマンの有名な追跡研究(ペリー就学前計画)では、就学前教育によるIQの差は数年で消えました。しかし、忍耐力・自制心・社会性といった「非認知能力」の差は残り、その後の学歴・所得・犯罪率の差につながっていました。
残るのは、点数ではなく、態度のほうでした。
6. 成績で悩んでいる保護者へ
だから、こう提案します。
勉強法を疑う前に、徳育を疑ってください。
授業中、先生の話を最後まで聞けているか
分からないことを放置していないか
塾でも参考書でもなく、ここです。
授業中に先生の話を聞けない子の成績が、塾を変えたくらいで上がるでしょうか。
上がりません。穴の空いたバケツに、水を足しているだけだからです。
1日6時間の授業が入らないまま、塾で2時間追加しても、埋まりません。先に、穴をふさぐ必要があります。
最後に
知育と徳育は、別々のものではありません。
徳育は、知育の土台です。土台が傾いた場所に、学力という建物は積み上がりません。
塾を変える前に。参考書を買う前に。
お子さんが、授業中に先生の話を聞けているかどうか。
まず、そこを確かめてみてください。
答えは、たぶんそこにあります。
出典
学校教育法 第30条第2項(学力の三要素)
教育基本法 第2条(教育の目標)
文部科学省「小学校/中学校学習指導要領 特別の教科 道徳」(内容項目)
国立教育政策研究所「全国学力・学習状況調査 質問調査報告書」
※質問紙と平均正答率のクロス集計。研究所は相関であり因果を示すものではないと明記しています
James J. Heckman ほか、ペリー就学前計画の追跡研究(非認知能力に関する知見)