【バレーボール部の引退の日】 体育館の電気が消えたあと、親として思ったこと

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引退の日。
最後の練習が終わって、
体育館の電気が一つずつ消えていく。

さっきまで響いていたボールの音がなくなって、
いつもの場所が、急に静かになる。

そのとき、
「ああ、本当に終わったんだな」
と、ようやく実感しました。

■ あんなに長く感じた3年間なのに

入部した頃は、
正直、こんなに続くとは思っていませんでした。

朝早い練習。
土日の試合。
洗濯物の量。
送迎の往復。

大変だったはずなのに、
引退の日を迎えると、
なぜか思い出すのは、
うまくいかなかった日の顔や、
悔しさをこらえていた背中ばかりです。

■ 写真は、たくさん撮ってきたはずなのに

スマホを開くと、
写真は山ほどあります。

ジャンプした瞬間。
円陣。
ベンチで声を出す姿。
試合後の集合写真。

でも、そのどれもが、
「点」でしか残っていない。

3年間という時間が、
まだ“ひとつの形”になっていない気がしました。
■ 親として、何を残せばよかったんだろう

勝った試合よりも、
負けた日の方が、
なぜか強く心に残っています。

帰りの車の中で、
黙ったまま窓の外を見ていたこと。

「もう辞めたい」と言いながら、
次の日には体育館に向かっていたこと。

ああいう時間こそ、
この子のバレーボールだったんだなと、
今になって思います。

■ 思い出は、形にしないと、少しずつ薄れていく

時間が経てば、
記憶は必ず曖昧になります。

写真があっても、
見返さなければ、
そのまま埋もれていく。

でも、
目に入る場所に「形」として残っていると、
不思議と立ち止まれる瞬間が生まれます。

「あの時、頑張ってたよね」
そんな会話が、
何年後でも自然に出てくる。

■ 引退は、終わりじゃなくて「区切り」だった

引退の日は、
何かを失う日ではなくて、
ちゃんと振り返るための区切りだったのかもしれません。

その時間を、
「ちゃんと残してあげられたかどうか」。

それが、
あとから親として心に残ることなのかもしれません。
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↑モザイクアート拡大図

■ バレーボール部の時間を、忘れないために

特別なことをしなくてもいい。
派手な演出もいらない。

ただ、
「あの時間は確かにあった」
と分かる形が、ひとつあればいい。

もし、
写真をどう残せばいいか迷っているなら、
こういう残し方もあります。



あの体育館の空気を、
あとから何度でも思い出せるように。
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