「先生…これ、バチ当たりますよね」
あの時の声、今でもはっきり覚えています。
神主だった頃の話です。
閉門間際、境内の端で立ち尽くしていた一人の女性がいました。
道に迷ったのか?…でも観光客ではなさそう。
ただ、どこか“来てはいけない場所に来てしまった人”みたいな顔をしていたんです。
「どうかされましたか?」
そう声をかけると、最初は何も話そうとしませんでした。
でも、しばらくしてポツポツと話し始めた。
「好きになった人に、奥さんがいるんです」
よくある話かもしれません。
でも、その人の震え方は“普通”じゃなかった。
「やめなきゃいけないのは分かってるんです」
「でも、やめられないんです」
「こんなことしてたら…いつかバチが当たりますよね」
そう言って、泣き崩れました。
あの時の私は、何をしたと思いますか?
お守りを渡して、こう言いました。
「お気持ちはわかりますが、正しい道を選んでください」
…今思えば、最低ですよね。
その人が求めていたのは“正しさ”じゃない。
「どうしたらいいのか」という答えだったはずです。
でも私は、神主として“正しいこと”しか言えなかった。
その人は、何度も頭を下げて帰っていきました。
救われた顔じゃなかった。むしろ、もっと苦しそうでした。
あの日からずっと、頭の中に残り続けています。
「これが、本当の救いなのか?」
神社に来る人たちは、みんな“光の中の人たち”でした。
七五三、初詣、観光、デート。
でも、あの女性のように
・不倫がやめられない
・誰かを奪ってでも手に入れたい
・どうしても諦められない
・執着してしまって苦しい
そんな“闇の中の人”は、神社には来られない。
来ても、居場所がない。
そして私は気づいたんです。
本当に救われるべき人は、
あの場所には来られない人たちなんだと。
それから、ずっと考えました。
綺麗事で突き放すのか。
それとも、その人の隣に立つのか。
結局、私は全部捨てました。
神主としての立場も、家も、これまでの人生も。
「なんでそこまでして」
そう言われることもあります。
でも答えはシンプルです。
あの時、何もできなかった自分が許せなかったから。
今の私は違います。
不倫も、略奪も、執着も。
否定しません。
むしろ、その感情の“奥”を見ます。
なぜそこまで想ってしまうのか。
なぜ手放せないのか。
その恋はどうなるのか。
そして、どうすればいいのか。
「バチが当たるかもしれない」
そうやって自分を責め続けるのは、もう終わりにしませんか。
あなたが背負っているものは、
本来一人で抱えるものじゃない。
重いなら、預けてください。
私は、あの時救えなかった人の分まで、
今、目の前のあなたと向き合います。