肩書きが無くなり、名刺も不要になった私ですが、 島旅農園「ほとり」さんの書かれた記事「肩書がなくなる怖さ知っていますか?」にある通りで、肩書きのない「人」として世の中を渡っていくのって、なかなか難しいことですよね。
世間から「あなたはもう要りません。役に立ちません」扱いされる気分?
そんなわけで私も名刺こそ作りませんが、仕事になろうがなるまいが関係なく、「これならできるよ、得意だよ~」という内容を、肩書き代わりのキャッチコピーにしてウェブサイトに提示しています。
それだけで、なんだか社会と繋がっている気がして、安心できるんです。人間って単純ですよね。
現代は、おひとりさまの時代。2人に1人は生涯独身となり、5人に2人は非正規労働者。もはや日本は、つながりを絶たれた孤独な社会。そんな国で、超格差社会の上流を目指したところで、さて、それって幸せ?
所詮人間なんてものは、立って半畳、寝て一畳。
いっそのこと、限界集落暮らしを選択して、経済社会と関わらずに自給自足型のシンプルライフを目指すのもアリ。
お天道様と一緒に起きて畑仕事に精を出し、腹八分目の質素な食生活でピンピンコロリと逝った私の曽祖父は、肩書を持っていませんでした。強いて言えば農民です。とても質素な一生でしたが、家族を大事にしていました。
一方、受験戦争に勝ち抜き上京し、秀でた能力で出世、家庭をほったらかして会社に奉仕し立派な肩書きを得た50代の叔父は、駅のホームで突然死。この叔父、離婚組。
どちらの人生が良いとか悪いとか、決めつける気は毛頭ありませんが、「公」のために「私」を犠牲にする価値が、果たして今の日本にあるのかな。
ということで肩書き。
先日、家の整理をしていたら、大量の名刺が出てきました。頂いた名刺だけでなく、自分の肩書きの入った名刺も、編集長・プロデューサー・通信員・編集委員・ディレクター・理事・店長エトセトラ、全部、捨てました。
肩書きとは、マウンティング用の社会的地位誇示ツールではなくて、その人を知るよすがであればいいと思います。
肩書きが何もないと、自分を知ってもらうことができないけど、そこに自分の得意なこと、好きなこと、出来ること、などを付け加えておくと、コミュニケーションの糸口になりますよね。
肩書きは、職業としてお金を稼ぐ人だけのものではないと思うのです。専業主婦だって、肩書的にはプロのハウスキーパーさん。そう考えると、みんな、何らかの肩書を持っています。私は以前、何もしていない時期に「永遠のフリーター」と名乗っていました。
肩書病でイケてないのは、どっかの会社のエライさんであったとかなんとか、過去の肩書を振りかざすこと。いや~、世の中、このケースが多いんだなぁ~。
肩書きは、人生の付録に過ぎません。