他者の概念に共鳴せずに、想えば「在る」世界をどう作るか?

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まず前提として言えるのは、私たちは一人一人がユニークな存在で、オリジナルな生き方をしているということです。

自分にとっての天国は、相手にとっての地獄になることがあるので、強制的に相手を変える事はできないものです。



これを前提としてですが、この世界は一人一人の想いが現実として現れています。

もちろん、集合的な制限があり、あらゆるものが現実として現れることは無いのですが、社会意識、集合意識、個人的な体験としては、想いが現実の姿を表現します。



体験したいと想う事が現実として現れ、作られていきます。



例えば、あなたが「おばけ」の存在を想っていると、その存在が現れるし、「神様」という存在を想っていれば、その存在が現れます。

想いや意図が、様々な現実体験の中で相互作用をし、現実として想いが形として現れます。

更に、その想いを多くの人と共有すれば、更にその想いは増幅し、現実に投影されて、「事実」として認識されていきます。



この意味で、神様も、仏様も、おばけや霊も、天使、精霊、妖怪等・・は存在していると言えます。

長い人類の歴史で培われてきた集合的な考え方・想念・想い・文化が、ある種の合意を作り、現実に投影されていきます。



今の現実に目を向けてみて、今現実に現れている事象に対してワクワクしていたり、積極的に味わいたいという情熱があれば、それはそれでOKですが、何か違和感があったり、恐怖や不安があってビクビクしていれば、それはオリジナルの想いでは無いと言えます。

なぜならば、私たちの本質から放射されている、エネルギーは情熱的でありワクワクし、喜びのフィーリングが最も近い感覚だからです。



先程の例で、「おばけ」という存在に対して、好奇心や興味、ワクワクする想いで現実に投影していなければ、その体験をする必要は全くありません。



その代わりに、もっと別のワクワクする事を意図して、現実化させていくことが本質的な自分を体験し、人生は更に豊かにワクワクと輝いていきます。



「おばけ」を現実化させる代わりに、芸術性、創造性を現実化させることができたり、新しい発明や開発ができるかもしれないし、本を書いたり、音楽を作ったり、新しい料理のレシピの開発にパワーを使う事だってできます。



例えば、誰かに「あなたには霊が10体憑いている」と言われたとしても、その世界観に共鳴する必要は全く無いものです。

もちろん、その発言をした人の世界の中には「霊」という概念は存在しているので否定をすることはできません。

けれども、あなたの世界はあなたが作ることができるので、他者の概念を正しいとして自分の人生に当てはめる必要性は全くありません。

もちろん、他者の概念に共鳴して、ワクワクするのであればOKですが、ビクビクするのであれば参加する必要性は全くありません。



私たちは、私たちの本質に共鳴する世界を描いていくことが、この世界に生きる目的と言えます。

他社の意見は参考にしつつ、自分自身のオリジナルの人生をエンジョイしていきましょう。

今日は、どんな世界を創造しますか?
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