【教育の基準を上げる意識】
記事
学び
日常的スピリチュアル、安田です。
成長するにつれて
教育の基準を上げていかなければ
成長し続けることができなくなります。
負荷をかけることで
成長することができ
基準を上げることができるのです。
教育の基準を上げるというのは
悟れる、感じられる教育基準に
上げていくということです。
今の時代、これからの時代の教育は
本質的なことが求められてくるので
深い境地での教育が必要なのです。
悟る、感じるというのは
深い境地からの教育によって
悟ることができ、感じることが
できるようになります。
深い境地からの教育が
悟れるように導く教育であり
悟れるように導くことで
教育の基準を上げることができます。
人が知識教育をする時代は
必然的に終わっていきます。
現実的に人工知能が
身近になってきているので
知識は人工知能に求めていけば
結論的な答えを出してくれます。
結論的な答えを知っていても
悟っていなければ
答えの通りに歩めないのです。
教育の目的というのは
成長するためであり
成長するためには
実行が必要なのです。
学んだことを活かし
学んだ通りの歩みをすることで
成長につながっていくのです。
いつの時代でも
実行できないことが
課題なのですが
悟っていないので
実行ができないのです。
知識教育ばかりをしてきたので
悟れるように導くことが
できなかったのです。
人工知能は
結論的な答えは
教えてくれますが
悟れるように
導くことはできません。
知識教育は人工知能がして
悟り教育は人がするようになり
教育の基準を上げることが
できるようになります。
効率的な教育を
求めている人がいますが
効率的に学べても
悟って、実行ができなければ
意味がないのです。
学びというのは
現実に活かせなければ
意味がないので
現実に活かせる教育が
求められています。
現実の歩みというのは
地道に歩み続けることであり
積み上げる努力をすることで
歩みの基準を上げることができ
教育の基準が上がった
目安になっていくのです。
悟れるように導くには
まず自分が悟らないと
いけないのです。
努力ができている人
続けられる人は
悟っています。
努力は、ごく小さなことから始めて
習慣にすることができ
体質にすることができれば
無意識に続けることができます。
悟りの境地というのは
体質にすることであり
無意識に歩める
努力ができるように
なることをいいます。
努力ができるように導く教育が
悟り教育なのです。
なので
自分ができていることでなければ
悟れるように導くことはできないのです。
自分ができていないことを
割り切って教えるのは
評論家なのです。
評論家は知っていることが
それなりに多いのですが
悟っていないので
表面的な教育しかできません。
悟りの境地というのは
より深くなっていき
高い基準になっていきます。
上限がない境地であり
教育でもあるので
限りなく基準を上げることが
できるようになります。
教育の基準を上げることで
成長することができ
成長欲求を満たすことができ
高い基準で歩むことが
できるようになります。
ありとあらゆる分野の
基準が上がっているので
より実力主義の時代になっていくので
高い基準での努力が
求められるようになります。
教育の基準を上げる意識によって
高い基準で歩める努力が
できるようになります。
今回も読んで頂きましてありがとうございました。
安田 悌