既存の価値観や既成の固定観念に囚われない、ということはとても大切である。優れた創造性は常に自由なマインドから生まれるものだ。私はそういった古くからの価値観を刷新し、新しい価値観を提唱する変革者でありたい。
私たちはともすれば、古くからの慣習や、幾世代にも渡り脈々と受け継がれてきた伝統に縛られがちである。それが必ずしも悪いものとは言わないが、今日の混沌とした世界においては、時流の移り変わる速度が余りにも速く、絶えず自分自身をアップデートしていかないとあっという間に時代に取り残される事態にもなり兼ねない。
どんなに新しいものも次第に古くなって行き、やがては時代遅れの産物となってしまう。それはまさしく世の常であり、言うなれば「諸行無常」というものであろう。混迷の時代の最中にあって、立ち止まれば置いて行かれるが、かと言って時代に迎合し過ぎて自分自身を見失うことは何としても避けたいものだ。
自分の中に揺るぎない「核」を持ち、尚且つ時流にも逆らわない、といった考え方が必要となって来る。難しいのはそのバランスである。どちらにも偏らない、絶妙なバランス感覚が、現代を生きる私たちには求められている。
現代日本においては、時代をリードするメディアのイメージ戦略やマーケティング、政府の「愚民化政策」とも言うべき国家運営によって、一般大衆の価値観は画一化され、思想までも統一化されて行く感がある。「多様性社会」を謳いつつも、その実、日本人の価値観はそういったメディアによって誘導され、皆の思想や嗜好が似たようなものになりつつあることに私はどことなく不気味なものを感じるし、そこに危機感も覚えている。
ポピュリズムに頭の先から足の先まで染まった政治家によって、現在の国家運営は難航を極め、迷走を続けている。大衆に「考えること」を放棄させ、刹那的な快楽や欲求の奴隷となるように仕向けているのは、現代日本に蔓延る巨大なメディアや古くからのマスコミ、そして他ならぬ日本政府である。
「時代の変革」というと何か聞こえのいいものに感じるが、実際のところ、ことはそう単純ではない。真の意味での「変革」を起こし、国民一人一人の意識に変化を齎すには膨大な労力と時間が必要となる。
それでも私は、この日本に変革を起こすことが必要だと思う。道ははるか遠く、険しいものだが、行く手に立ちはだかる艱難辛苦を乗り越えて、それを達成した暁には、全く新しい風景が見えて来るはずである。