デザイナーの仕事とは

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コラム
 日常のデザイン仕事にとって何が大切か、優先されるべきは何かという事を考えてみると、経験上「美しい絵柄」「かっこいいデザイン」を創造する以前の問題が大きいといつも実感しています。
 コミュニケーションが第一、これは「デザイン」の仕事に関わらずすべての職種にいえることなのですが、仕事そのものは何らかの問題解決に寄与するというのが本質であるのです。問題解決を目標にしなくてはならないというのがコミュニケーション力を強化する必要があるという事なのです。
 デザイナーの仕事もまずはクライアントがどんな問題を抱えているかについて知っておかなければなりません、私の場合ですと長い間「飲食・旅館・ホテルサービス業」関係の業界経験がありますので、得意業種といえます。なのでコミュニケーションの第一歩である「質問力」というのは身についているわけです。問題発見、原因追及の後に課題を見つけ方針を決めます。デザインコンセプトを煮詰めやっと作業にはいるといった手順で進めていくのです。大なり小なりどんな職種においてもこの手順でしょうが・・・
 コミュニケーションの内容は、言語化出来ることが前提です、明確化して言葉にすることはとても難しいものです。出方つ手段としての言葉、文章、画像、図解などを駆使して、意見の交換を繰り返し齟齬をなくし共通認識を持つという事になります。
 この認識の違いが多くの誤解を招きトラブルになることもあります心してコミュニケーションをとりたいものです。
 こうした社会生活、仕事生活を送って行っている私たちのまわりの言葉の乱れは少し将来が心配になってくるような「言語空間」が存在しているようです
ココからはデザイナーの言葉を憂いについて話します。
最近の女性の言葉遣いに驚いている。
電車やバスに乗っている若い女子たちの仲間言葉とでもいうのであろうか、とにかくむごい
家庭でもそんな言葉を使っているのであろうか。一昔前の(今でもか)不良少年、やくざ言葉とでもいうべき言葉を若い女の子が使ってる
「てめえ」「このやろう」「○○じゃねえよ」「やばい」「ざけんなよ」など
聞くに堪えない・・と思っていたら
 我が国の言語による論議の場、国会に於いての某女性議員の「やじ」の言葉の汚さに驚くと同時に美しいフレーズによって成り立っている「日本語」の乱れはこんなところにも表れているのだと情けなく思う次第であり、国民の見本となるべき指導階級の方の良識、教養をも疑ってしまう、いつから日本はこうなったのだろう。
 考えてみよう、言葉を発する前の状況を。当たり前だけど言葉を発する前には必ず心の動き、思うという行為があるのである。では何を思って言葉にしているのだろうか、思う内容によってさまざまな言葉遣いがあらわれてくる。相手を見下す言葉、罵倒するする言葉 いつくしむ言葉
優しい言葉、勇気づける言葉、それぞれは日々の生活上に大きな影響を与えていくのであるが 今日の問題その言葉の知識の問題である。つまり「語彙力」不足としいうより無知勉強不足による、知識の欠如といえる。
 その欠如の原因として文学文芸の世界衰退にあるのではないか、文字離れ、アニメ全盛の簡便セリフ回しによる物語の展開。母国語を満足に学習していないにも関わらずの英語教育の推奨、我が国の歴史に対する無頓着さは文化レベルの低下を招くというのは当然のことであろう。
 教育界においては学歴至上主義がはびこり、高偏差値の学校に行っていながら一般社会での言葉遣いや真の「教養」を持ち合わせていない方々か゛重宝されている世界になってしまっている。
いずれにしても、言葉遣い一つで仲間の種類が決まり同一化現象で、野卑な言葉を使っている人の集まりは野卑な人々が、丁寧な謙虚な言葉を使っている人々の集まりはそれなりの人が構成していくのは「波長共鳴」の法則どうりである。
 ただ、それは形のみ追い求めていても心の中からそうでないとたんなるかっことりになり続かないのである。
言葉遣いの本質は心の中の環境と深く影響しているという事を知りたいものである。
 言葉遣いの乱れはそれ相応の仲間との集団ができ、その集団を利用しようとするこれまた悪い奴がいるという事を肝に銘じていこう。
心の乱れが言葉の乱れに繫がり、言葉の乱れは行動の乱れにつながるという事をしって、修正していこう。

 という事で今日の一筆 👇
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