その国らしい映画って…結局のところ輸入国が作り出すイメージでしかない
私は最近、『パリに見出されたピアニスト』という映画を観て、感じたのが「フランス映画らしくない」ということである。『パリに見出されたピアニスト』の監督であるルドヴィク・バーナードは、リュック・ベッソンの元で長い間、助監督をしていた人物である。それもリュック・ベッソンの『ニキータ』や『レオン』などといった、初期の頃のテイストよりも、近年でアメリカナイズされてきた『ルーシー』や「96時間」シリーズなどで助監督をしていた経験から、フランス映画というよりは、大衆向けの娯楽テイストのサクセスストーリーで、いわゆるアメリカナイズされた作品なのである。そこで思った、そもそも「フランス映画らしい」って何だろうか…独特の間だったり、おしゃれな時間の流れ方だったり、色々あると思うが、それというのは、あくまで日本人のイメージに沿う作品を輸入してきているがために、作られてしまったイメージではないだろうか。時にメディアは、映画によって国民性や国そのものを象徴している様に取り上げることが多い。確かに、その国にしかない文化や情勢などを反映させたものは、その国ならではのものだろう。しかし、ジャンルや基本的な映画の構造の中での、国の特徴というのは、それほどないのかもしれない。その特徴という概念を植え付けているのは、配給会社だったり、その国の作品を輸入している側であることが多いのだ。このラインより上のエリアが無料で表示されます。例えばアメリカにおける日本映画の印象は何だろうか…怪獣、侍、忍者、霊的なホラーとそんなところである。しかし、実態はどうだろう。その要素というのは、近年の日本映画において数えるほどしかない。実
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