但馬國一宮 粟鹿神社 【 総氏神 】
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2021-11-08
テーマ:ブログ但馬國一宮
粟鹿神社 ( あ わ が じ ん じ ゃ )
兵庫県朝来市山東町粟鹿2152総氏神に参拝いたしました
神恩感謝で御縁を結ばせていただきました
そして氏神へと参拝いたしました
但馬國三宮
出石神社 (豊岡市) 粟鹿神社 (朝来市) 養父神社 (養父市)
粟鹿神社は 但馬國最古の社として国土開発の神と称す
粟鹿の名は 昔 粟鹿山の洞穴に住む一頭の鹿が
粟三束をくわえ 村に現われ人々に農耕を教えたという
その鹿を祀ったのが当社であるという
文献
『 粟 鹿 大 明 神 元 記 』
( あ わ が だ い み ょ う じ ん げ ん き )
和銅元年に粟鹿神社祭主の神部直根マロ<門 に 牛>
( みわのあたひねまろ )が
勘注上申した竪系圖(たてけいず)で
京都九条家の秘庫に蔵されていたものを
昭和三十年に学士院会員の是澤恭三博士が発掘せられ
現在 宮内庁書陵部に保管せられているもの
( 以下元記と云ふ )
右古文書は日本史上稀有の文献と絶賛されており
和銅五年に撰述せられた古事記よりも四年早く上申され
系圖に出ている人物も
太田々祢古命(おおたたねこのみこと )が
古事記( 崇神天皇 )の項に
右祭主が三輪君根麻呂( みわのきみねまろ )の名前で
日本書紀( 天智天皇 )の項に夫々書かれている等
日本歴史の嚆矢とも云へる記 ・ 紀が
共に元記を裏付けしていることから見ても
この古文書は驚異に
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