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体調を崩した時のご近所さんの対応

時々、ご近所さんから生存確認のラインが届きます『元気ですか?体調は大事にしてね』とそのご近所さんは私がある時期からずっと肺に影があることを知っています定期的に診察してもらっているのですが、軽度の肺炎とのこと放射線治療の影響のようですそんなある日の事ご近所さんからの生存確認ラインが届いた日は会社を休んでいましたワクチンの副反応のためですその旨を返信すると数時間後ラインが入ってきました『今もねちゃんの家のロビーにいるからちょっとだけ出てこれるかな?』ロビーに向かうとご近所さんが大きな買い物袋一杯の食料を私に届けに来てくれていたのです『事前に聞くともねちゃん、遠慮しそうだから持ってきたの!ひとりだと心細いと思うけど出来ることはなんでもするから連絡してね』となんて優しいのでしょう( ;∀;)頭が上がりません袋にはレトルトのおかゆや、栄養ドリンク、ゼリーや果物が入っていましたこのご近所さんには実は私の本当の事を話しています身内がいない事も、乳がんで闘病したこともだからなのかな私は本当に幸せ者だな神様がいるのかはわからないだけど、私が失った『家族』はもうどうしても取り戻すことは出来ない代わりに、こうして愛情をもって接してくれる人に出会わせてくれたのかなあ生きていて良かったないや、生かされてここまで来たんだなそんな事をふと思い出しましたご近所さんのためにもこれからも生きていこうと思います
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私を守ってくれる盾♪

おはようございます。 最近、よく、昔の出来事を思い出すんですよ。 これって、年齢的なモノでしょうかね(笑)?きっかけは、とある歌詞に出会ってから 君が乗り越えた壁は、いつも君を守る盾となって、君のそばでいつでも支えるだろう。 この歌詞を聞いた後から、今までの経験を思い出す事が増えました。「色んな人に助けてもらってきたな~。」 たくさんの人たちの顔、その時の感覚が浮かんじゃってね。 色んな経験をさせてもらって…ウルウル。 どん底の渦中では、自分を責め、もがき、出口が見つからない不安で、壊れてしまう事もあったけど。でも、人の何気ない言葉に助けられ、救われてきました。 ホント、、何気ない一言なんですよね。今では、色んな経験は財産なんだ!と腑に落ちています。あなたは、どんな経験をしていますか?最後まで、ご覧いただきありがとうございました。素敵な1日をお過ごしください。 Kyoko
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お天道さまは見とるけん♪

おはようございます。今日も暑さに負けず、過ごしましょうね♪皆さんには、心の残る言葉や勇気付けられた言葉はありますか?私の心に残る‥大切にしている言葉はお天道さまは見とるけん! 仕事でスランプ…真っ暗なトンネルど真ん中、立場的に誰にも頼る事ができなかった時、上司にかけてもらった言葉です。この一言には、色んな意味が含まれていて、、、あの時の感覚を表現したいと思いましたが、上手くできなかったので、諦めます💦感覚を表現するのは難しい~ッ(笑)今でも、思い出すと心が緩みます♪ 私の大切にしている言葉の一つです。 先日、チョッと落ち込む事があったので…またまた、この言葉に助けてもらいました。 お天道さまはみとるけん!皆さんにも大切にしている言葉はありますか? スッキリしない時、そんな言葉を思い出してみるのもいいかもですよ♪ 心を緩めて行きましょう~今日も素敵な1日になりますように~最後までお読みいただきありがとうございました。Kyoko
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中学生の頃の校長室登校

『保健室登校』ではなく『校長室登校』聞いたことありますか。私は中学生の頃一時的にいじめの標的になっていました。家庭にも居場所がなく、学校に行けば聞こえる声で悪口を言われたり、傘を壊されたり。だけど学校を一度でも休んでしまうと、もう二度と登校できなくなってしまうのではないかと必死でした。担任は「虐められる原因を考えてみろ」とだけ。でも聞こえてくる悪口によると原因は‘貧乏だから’というなんとも理不尽なものでした。やがて保健室登校になり、保健室にいてもいじめっ子が誰もいない時に数人で詰め寄ってくるので美術室に逃げ込みました。私は美術部でした。備品倉庫は小さな隔離部屋になっていて、どのクラスも授業で美術室を使わない時間はそこで座って過ごしていました。とある日、美術室に一人でいると校長先生が入ってきました。私の名前を知っていました。「もねさん、今日はここにいたんだね」と、授業に出ていない事を責めることなく優しい口調で声をかけてくれました。当時私は完全に人間不信になっていて声も出ません。すると校長先生は「明日から、校長室にもしよかったら来てください」と。翌日、保健室にいると校長先生が来ました。そして私にこう言いました。「もねさん、校長先生と手紙や絵の交換をしませんか」と。そして便せん二枚の手紙を置いて保健室を出ていきました。その手紙には、私が一人で過ごしていることを見てとても心配している事や、私が美術室で遅くまで油絵を描いている事について、そして辛いときには一人ではないといった内容が書かれていたと思います。校長先生は、私の状況をすでに知っていたのです。家に帰っても辛いことを話せる相手もおら
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