「頼りにされている」
学生時代、いろいろな出身地の、いろいろな大学の学生の住む寮に住んでいました。ある他大学の友人で、ほとんど学校へ行かず、ひたすらパチンコばかりやっていた仲間がいます。その彼が、あるときからパタッとパチンコをやらなくなったようなのです。同じ単発バイトに行くときに彼と一緒になり、わけを聞いてみました。彼は真顔で「あれは人間のやるものじゃねえ」と言っていました。パチンコを極めると、ついに必勝法を見抜いてしまうそうです。そして、「必勝法を見抜いたパチンコ」というものは「たんに時間をお金に換えているだけ」というものになるわけです。「あれはバイトだ。しかも、なんの社会の役に立つこともないバイトなのだ!」と彼は言っていました。
私は今、ある人たちにホームページの制作を依頼しています。私が貧乏であることを知っていて、その人たちは、破格で私のホームぺージ作りをやってくれています。以下の私の意見は正直すぎて、その人たちには決して言えません。つまり「アムールトラさんのためにいいホームページを作ろう!」という気持ちがその人たちの大きなモチベーションになっていることは明らかである気がするのです。「アムールトラさんに頼りにされている!」というのが、金銭面を超えてその人たちを動かしているようにも思えるのです。(これを言っちゃまずいですけどね!)
われわれは生協の人が食品を運んでくれることに頼り、下水の人が便を流してくれることに頼り、いろいろな人に頼って生きています。しかし、その頼られている人たちを動かしているものは「自分は頼りにされている」という気持ちではないかと思います。「自分が下水を流さなければ、みんなト
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