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「家庭の運営という概念 その14」

 さて、これまで私は家庭というものの重要さを繰り返し記してきたのかもしれません。もとより家庭、家族より大事なものはこの世にないと言ってよいものと思います。  しかし、しかしですが、同時に仕事はそれと比較すべきでなく重要です。このことは家庭の中で子供たちに本当の気持ちとして伝え続けていく必要があると思います。まず一つは、仕事というものは家庭の運営をしていくその糧を得る上で他に代替のない手段であり、仕事無くして家族が暮らしていくことはできないのだという現実を子供たちに自然に理解させることが極めて重要だからです。  そのもう一つの理由は、近代以降と言ってよいと思いますが、個人が社会の中で自分自身を表現し目指すべき目標をもって生涯をかけて取り組むものとして、それは仕事以外にはおそらく他に見出し難いものだろうということです。要は人生をかけて取り組むに値するものとして仕事というものは厳然として存在するものだと言っています。もちろん、大きな、世に目立つ仕事だけがその仕事に値するのだということではありません。その人が誠心誠意取り組むのであれば、どんな仕事にもそれに値する本質があるという意味においてです。私は専業主婦(夫)の仕事にもその聖なる本質があると思っています。  仕事そのものについてはまた別に記す機会があると思いますが、ここではやはり仕事いうものの中に私たちが暮らす社会に資する聖なるものがあるということだけを記しておきます。  少し堅くなり過ぎたかもしれません。要は、仕事に対しても目標をもって真剣な努力を続けていく姿勢というものが家庭生活の上でも実は重要なのだということを言いたかったとい
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「家庭の運営という概念 その13」

 これまで「家庭の運営という概念」というシリーズブログで、夫婦と子供たち、つまり父母と子供たちという家庭の基盤をどう運営していくか、ということについて記してきたのか、と思います。文字通り家庭を構成する最重要な主役である夫婦である二親と子供たちであり、その夫婦がどうあろうべきか、子供たちをどう育てていくかということの、その主役たちの重要さは論を待たないと思います。  しかし、家庭の運営は、このいわゆる核家族の構成のみに捉われ過ぎるということも実際には戒めなければならないポイントだと私は思うのです。つまり主軸である主役たちに対して、脇役、または補佐役としての祖父母の存在です。これは残念なことに事故や寿命の関係、あるいはなにかの事情で祖父母が欠けた状況のご家族もいらっしゃると思うのでそういう方々に対してこちらで述べるのは誠に申し訳なくはあるのですが、そういう方々にとっても祖父母の存在を意識することは非常に重要だと思うのです。  祖父母の存在が重要だと思うのは、祖父母の存在がないとした場合、一つは夫婦、父母というものが家庭のおいて絶対的なものとなり、父若しくは母のエゴが過剰に発露するリスクがあるということです。人間は特に若いうちは人間社会の伝統の中に潜む知恵に鈍感であるという欠点を回避することが難しいものです。そのために肉親としての夫婦双方の親の存在というものは、上手く付き合うことで家庭経営の危機管理としての機能を持たせることが可能です。このブログをお読みの皆さんのように賢明な方々であればなおさらお分かりいただけるものと思いますが、人間が生きてきた貴重な経験の資産を上手に付き合いながら
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「家庭の運営という概念 その12」

 今回は夫婦の関係について少し気になることを書いてみたいと思います。 夫婦も結婚生活を5年、10年と過ぎるに従って、よく「空気みたいな感じですね」とか謙遜も込めてでしょうが良く発言する方々をお見受けします。私たち夫婦も結婚31年を過ぎましたが、確かに子供の出来、慣れてきたころはそんな感じもわかるような気がしました。ただ実際には小さい子供が2人もいますと仕事も一番の働き盛りの頃ですから、そんなことを思っているヒマも無いというのが実情でした。 でもそのころ確かにお互いの男と女の愛情というのは、どうしても中だるみというか、慣れというか、今どきでは問題になるセックスレスのような感じが出てくるのもその頃かと思います。この頃にそういう男と女の関係を夫婦でどう折り合いをつけていくかは、結構大事なところだと思います。斯くいう私も完璧にその頃を乗り切ったというような代物ではもちろんなく、反省をし直したということもありました。 皆さんも家庭を運営するうえでの基礎となる夫婦の関係ですのでゆめゆめ疎かにすることなく、真剣に考えてしっかりと実行していっていただきたいと思います。つまりはセックスレスではイカンということです。私の敬愛する谷沢永一さんは「セックスは人間の本姓の一つだから軽く見てはいけない。セックスレスなどというのは破綻した男女関係の現代的言い方でしかない。」とおっしゃっています。そして、セックスは処理ではなく男女がお互いを思いやる大切な心遣いであり、「人間は自分を丸ごと共感してくれる人を得て初めて幸福になるようにできている」と喝破されております。 工夫に工夫を考え、お互いを思いやることで出来
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「家庭の運営という概念 その10」

 さて、小さいころからの子育てでやはり重要だなあと思うのは、遊ばせるにせよ、本を読ませたり勉強させるにせよですが、それは集中力をもってやらせることかなと思います。 有名な陰山先生の百ます計算などもまさに集中力が子供たちの脳みその発育に如何に重要かという観点から考え出されたものだと思います。実際、百ます計算は、一つひとつは小学校低学年の生徒にとっては優しい問題でもそれを集中してやらせることで脳を活性化させているんでしょう。事実、かつての陰山先生のクラスからは有名大学の合格者が非常に多く出たと言われています。 ですから、本を読んだり勉強させたりするときは、ながら勉強、ながら読みなどは良くなく、家族全員が集中して本を読んだり、勉強したりする時間を持つという習慣づけなどは非常に大事なことではないでしょうか。 そして、その集中力を担保するものとして、十分な睡眠とバランスの取れた栄養、さらに朝昼晩の三食などなど規則正しいリズムを刻んでいくという日常生活があります。これはそれぞれの家庭の事情もありますから一概には言えませんが、やはり出来るだけ子供たちにとって一番良いリズムでなんでも元気にやれるような日常生活のリズムを付けてやりたいですね。 これは実は親にとっても良いことで、詰まらないことで夜更かししたり、飲酒のし過ぎ等々はほどほどにすべきです。それより家庭生活において、自分の将来のため、子供たちの将来のために使う充実した時間をたくさん持っていただくことが最も重要なことかと思います。
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「家庭の運営という概念 その9」

 さて、子供の教育の方向性、家族の向かう方向というものがある程度見えてきて、具体的な努力も実践しつつあるというとき、経済的な見通しについても同時構築していかなければなりません。 実際、中学受験をするということも朧気には視野に入ってくるわけです。また中学受験しないまでも高校受験があり、その先には大学受験は必ずついて回ります。そうしたものを考え、調べればこれはすぐわかることですが、大学の費用というものがやはり最も嵩むことが容易に理解されます。もちろん中学受験するということは中高6年を私学にやるわけですからそれはそれなりの負担とはなりますが、大学が最も高くつくものなのです。 子供が就学前に親として具体的に考えることはなかなかできにくいことながら、ざっと自分の場合を振り返って見積もることぐらいはできるはずです。その時、大学を国公立の自宅通学という最廉価の場合のみを想定することは大きなリスクであり、通常でやはり私立大学自宅通学くらいを想定しておくというのが標準的であろうと思います。親はその親に学費を出してもらっているだろうことと思いますが、それをいざ子供の学費を出すとすれば、これは大変なことだと思うでしょ。 さて、やはり学費のための貯蓄はとにかく気が付いたときからすぐにでも開始する、ということだろうと思います。本欄の初稿でも申し上げましたように食事を楽しみつつ、食費から倹約を始めていくということができていれば、もうあまり苦労はしなくても実行していけると思います。一つ一つの家計の無駄や倹約可能なところをしっかりと削り、貯蓄に回していくことが重要です。その際は良く言われるように、最初に天引き
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「家庭の運営という概念 その8」

 さて、ここまで家庭における安心の重要さ、それを基盤として家庭の運営の基盤とするということを述べてきたのかな、と思います。 安心の基盤ができると、家族は外に向かって挑戦をしていこう、という方向になってきます。だからこそ安心基盤が重要なのですが、そうなってきたらシメタもので、あとは細かいテクニックを使って運用していくことになります。父親、母親としては自分自身の自己啓発を粛々と進めながら、子供たちの教育の実践に取り組むということです。 さて子供たちに関してですが、我が家のことは前にも申しましたように、勉強をコツコツとでもやらせていく、ということでした。これは特別の才能があったり、親の方に特別の才能教育を出来る能力がなかったのが理由と言えば理由です。実際多くの普通の家庭ではそう考えることが多いのではないでしょうか。確率的なことを言えば、例えば才能教育と言ってスポーツや音楽の才能教育をやるとして、それをプロとして食っていけるようになる確率はもう本当に希少なものです。万分の一くらいがせいぜいでしょう。 そう考えればやはり勉強をさせるのが最も確率が高いと思います。東大に入学することがもちろんすべてではないですが、東大には毎年3000人以上が入学するわけです。さらに大学がすべてではないけれど一流大学に至ってはその10倍くらいは毎年入学するわけです。日本の場合、一学年100万人としてみると才能教育の場合万分の一0.01%100人に対して、勉強の場合3万人、3%ですから、そこだけ見ても確率的にもうこれはめちゃくちゃと言ってよいほど効率が良いことがわかります。 さて、子供たちに勉強をやらせていく、
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「家庭の運営という概念 その7」

 さて、乳児から少したった頃、子供たちをどういうふうに育てていこうか、という想像は夫婦にとって一緒に夢を見る共同作業でもありとても大切なことがらだと思います。まあ、子供は愛情深く育てれば自ずから育っていくものでもあり、もうそれで充分なのかもしれません。 ただそう言ってすますことも素気無いとも思いますので、少し述べてみたいと思います。まず、近年言われるようになったことですが、これからは益々国際化していき大事になるのは英語力だから小さいうちからやらせるに越したことはない、英語を習わせよう、などということですが、まあ各家庭の事情もありますから止めろとは言いませんが、言葉(日本語)を覚え始めた小さい子供たちにとっては混乱を惹起するだけで、やはり大事なのはやはり文字通りヒトとして根本のMotherTangueである日本語、国語をしっかりと身に付けさせていく、これが一番のことと思います。藤原正彦さんや古くは岡潔さんというような国際的な大数学者もそうおっしゃられていますから、小学校までは何はあっても「国語」力を付ける(藤原さんは、1に国語、2に国語、3,4はなくて5に算数と言っていました)ということが最も重要と思います。 そういう意味では本を読み聞かせたり、寝かしつけに昔話をしてやったりということはとても良いことではないでしょうか。寝かしつけに一緒に布団の中で話をするというのは子供はそれそれは喜びます。安心して寝れるからだと思います。やはり安心は本当に大事です。それからこれまでにも記しましたが、親自身が家で読書する習慣をもつとともに同時にそのとき子供たちにも本を手に取らせてあげるというような
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「家庭の運営という概念 その6」

 今回は、子供たちへの対し方について記したいと思います。 子供が生まれ、しばらくすると表情が出て来て少しづつ可愛さが増していくのは親となったすべての人が記憶していることでしょう。そして片言を言い始め、おイタをしたりおしゃまなことを言ったり、しだしたときの可愛さはもうこの世のものとは思えないほどですね。手間のかかるこのころの大変さは体力のある若い頃出ないと務まりませんが、それ以上にその可愛さからして育児の最も張り合いのある、ある意味人生の最高の時かもしれません。 そうであれば、その仕合せのときを一生懸命に過ごすことができていればもうそれで充分なのでしょう。 しかしながらそれだけでは本欄として寂しいので少し申し上げておきますと、そういうときから少しづつ「しつけ」をしなければならないと思います。我が家の場合も、それなりに手探りでしたが、そこそこ厳しくなくてはまともに育たないのではないか、という観念もあったので時に体罰などしたりしました。これは最近ではそこまでするのはリスクが高いと言われており、言葉だけでも十分ではないかと思います。ただ、子供を叱る、あるいは怒るときに大事なことが有ります。それは、夫が子供を叱ったり、怒ったりしているとき、例え夫が間違っていると思っても妻はそれ否定したりしてはいけないということです。最もいけないのは子供側に立ち、子供と一緒になって夫を責める、ということです。これは妻が叱ったり、怒ったりしているときも、当たり前ですが同様に夫は子供側に立ってはいけません。この時重要なのが必ず夫や妻の側に立つということです。このことは小さいころだけでなく、大きくなっても貫かな
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「家庭の運営という概念 その5」

 さて、乳児を過ぎたころから本格化する子育ての方向付けとでも言いましょうか、その考え方、具体例を記せればと思います。 我が家の場合には夫婦とも特別の才能がなく、やはり勉強をこつこつでもさせることだね、ということで始めました。 本当に小さいころに本の読み聞かせをするというのは、これは良いことでしょう。この辺りは識者の意見も収斂していますし、出来る範囲で進めましょう。ただ私の場合はちょうどその時分仕事が非常に忙しかったこともあって実はあまりしていません。しないということではありませんでしたが実際さほどできませんでした。やむを得ない場合もありますから何事もあまり気にし過ぎるのは良くないと思います。ただ、何かにつけマンガでもよく、本は良く取り揃えておきました。 また、大事なことだと思うのは、親自身が勉強する、ということです。スキルアップのための勉強や読書をする姿を見せることは子供たちにそのイメージを脳に焼き付けることになると思いますし、読書する、勉強すると言ったって、実際に見本があるのとないのでは雲泥の差があります。そして親が勉強ぐせを持つというのは実は親自身のその後の人生設計でも必要なことであり、欠かすことができません。 ただそうは言っても大人の勉強は絶対のカリキュラムがあるわけではありませんし、自身が興味のないことを出来るわけでもありません。どうすれいいんだ、という方々に参考になることを言いますと、一つは歴史を勉強されるのが良いと思います。これは先々を見通しにくい中で先人がどういう苦労をして成し遂げたり、失敗を繰り返したりしたのか、や、今を遡る世界は何世紀も前に似たようなことを経験
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「家庭の運営、、などとえらそうなこと書いてますが」

 番外編です。 「家庭の運営という概念」などとえらそうなこと書いてますが、この4月、5月で長男が30歳、次男が27歳。一応就職して独り立ちはしています。ただ、父親に似たのか、なにせ女性には奥手そのものでこれまでいっさい彼女の気配ゼロです。やたらに彼女をとっかえひっかえするよりは良いかと思っていますが、結婚がいつになるのやらという気もする今日この頃です。 ときどき、「もうそろそろ結婚を真剣に考えろよ」と言ったりしますが、面倒そうな顔をされるだけ。そういうときの父は寂しいものです。男二人の兄弟は女性というものがわかりにくいというのはあります。異性の兄弟姉妹がいる人はそういう点では有利なのかもとも思ったりします。 今日、次男に「誕生日、おめでとう。結婚はちゃんと考えろよ。」とLINEしたら、板尾創路の動画付き「せやな」が返ってきたのには笑いました。 チャン、チャン。 
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「家庭の運営という概念 その4」

 さて、反響の多いのをいいことに本日も少し記しておきたいと思います。昨日は、毎日のおいしい食事が基本ですよ、みたいなことを申し上げました。それは、お金がかからないでおいしい食事を毎日食べることは、倹約にもなるからです。満足できる食事を毎日食べながら、倹約をして貯金をしていく、これは妻との共同作業としてベクトルを合わせてやっていきやすい基本的生活基盤です。 さて、くどいようですが、子育ての本や資産形成本にあるような細かいテクニック的題材に行く前に、大事なことを言っておきたいと思います。やはり家庭というのは、共働きであればなおさら社会との闘いの合間の安らぎの場であると思います。この点を外して先のテクニックに走るといけないと思います。やはり家庭の最も重要な基盤は心から安心できる場所であるということです。安心立命という言葉があります。心安らかに落ち着いて真剣に取り組む、というような意味ですが、そういう基盤を家庭に持っておかなくては、社会に出て精一杯闘うことはできないのではないでしょうか。夫婦ともに安らげる場を食事を中心に築いたうえで、それを倹約生活の基礎として貯金をしていく。この重要さを昨日の本欄(その3)では申し上げた次第です。 さて、その基礎を継続的に進めていける基盤ができたら、次はやはり子育てということになりましょう。これも大変なことではありますが、夫婦二人の間に出来た二人にとって掛け替えのない子供たちですから、子供たちを立派に育てていこうというのも、夫婦で最もベクトルを合わせてやっていきやすい基本的生活基盤です。ここは非常に大事な点です。夫婦がお互いの子供に対する思いを理解し合
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「家庭の運営という概念 その3」

 本当に反響があるのは有難いことなので、その3を書いてみます。前2回でえらそうなことを書いてしまいましたが、日々の家庭の運営ということで言って私が一番大事なことだと思っているのは三度三度の食事です。 これか規則正しい食生活は健康で仕事やプライベートに取り組める基盤になるものであるということはありますが、何より自分たちの作ったおいしいものを一緒に食べる仕合せというものは他に比べようがありません。それを1年、2年、、、、、10年、20年と続けていると少しづつの工夫もかなり重厚なものになって、簡単に作れておいしいものに収斂してちょっと他では味わえないものになります。非常に良かったと思うのは、夫である私自身が非常に食いしん坊の上に料理好きという点でした。もちろん妻もそうであったのはラッキーでした。特に妻や可愛い子供たちにおいしいものを作って食べさせ、幸せな顔をみるというのは何物にも代えがたい。 それは子供たちへのしつけにもなったように思います。週末の買い物を妻と相談して買うというのは、予算なども含めて今週の予定を子供たちにもそれとなくわからせるからです。やっぱり食育というのは本当に大事ですね。今も独り暮らししている次男が戻ってくると直ぐ言うのは、「飯はどうなってるの?」です。そして久しぶりに旨いものを家で一緒に食べるというのはなんとも言いようないものです。 もちろん妻と食事後の皿洗いのことで揉めることもしょっちゅうですが、まあご愛嬌というところでしょう。 また機会があればレシピなどもご紹介したいと思います。
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「家庭の運営という概念 その2」

 家庭運営という概念ということを書いた反響に驚いている。これまでで最高の閲覧数の3倍ものアクセスがあったらしい。若い人が読んでくれたと勝手に解釈して、若干の補足をしたい。 今の少子化、未婚化の傾向の多くはやはり生活の厳しさ、将来への自分自身を含めた不安にあるのだろうと思う。確かに親より豊かになれそうにない時代が来たということはかなりショッキングだ。そしてその豊かであった親の世代も決して幸福とも思えないというのもわかる。 でも、でもである。そんなに悲観しなくてもいいんじゃないか。結婚生活、家庭生活というものに完璧を求めすぎてはいないだろうか?それは失敗もたくさんする。私にもいつも妻に責められる失敗の数々はたくさんあるが、妻と一生懸命になって努めてきた子育てや人生の思い出作り、べたな話では資産形成などなど、結果としては多くの失敗がありながら八割以上の打率でヒットだったと言える。これも特別の才能が切り拓いたというより、こつこつと二人で子供たちのためを思い、まじめにやってきたという普通の努力の結果に過ぎない。他のことに努力を傾けるよりはるかに努力しやすいのが家庭運営だと思う。実際勉学で家庭にかけるほどの努力をしたら、もっと社会で名誉なことがたくさんあったかもしれないと良く後悔の念が浮かぶくらいだ。 だから、若い方々には、たいそうな勇気は要りませんよ、少しの勇気と妻や主人に寄り添おうとするちょっぴりの思いやりをもって、何より自分自身をこの世で意味ある形で生かすよう家庭運営に励んでみてください、と言いたいと思う。
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「家庭の運営という概念」

 家庭を運営するという概念がある。個々人にとってこれほど大切なことはないという意味でこんな程度の言葉で表現してはいけないかもしれない。或る意味そのレベルは企業経営よりも高尚で文字通り経営と言っていいかもしれない。でもこの場では便宜上家庭運営という言葉を使用させていただく。 結婚は婚活の形がどうあれ、ある程度の恋愛感情の上に結ばれるのだろう。しかし若ければ家庭運営に関する意識はさほど高くはないのが普通である。ただ時を経るに従って将来遠くまでを意識するものであり、増して絶対に子供が欲しくないという夫婦は別にして子供ができたならば、子どもたちがいる将来について思いを馳せるのは人間の自然というものと思う。そうであるならば、家庭運営を如何に夢のあるやりがいのあるものにするか、それを仇や疎かにすることはできない。 そういう意味では本欄は、ちょうど小さい子供がいらっしゃるくらいのご夫婦にあっているかもしれない。ようやく乳児を過ぎ、少し時間的にゆとりを感じるころ、家庭運営を構想する最も重要な時期だと思う。経済的なこと、資産形成、教育費の準備などをキャリアプランなどと一緒に真剣に考える必要があろう。ただ確たる見通しなどいつの時代も描けるわけではなく、目標や方向性をきちっともって努力し続けるプロセスこそが尊いとの割り切りも必ず必要となる。そうした上で毎日毎日を現実的な行動で裏打ちしていくことが最も重要なことなのである。 もしそうした考え方に同意いただけるなら、そして見通しのきかない中でどう具体的に家庭を運営していったら、というお悩みをお持ちの方は、気を楽にし(Take It Easy!)、夫婦仲良
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