今ここにいる証を
子どものころから想いを文字に残すことが好きだった。いや、”好き”という表現は正しいとは言えない。どちらかというと”嘔吐”に近い。胸に詰まった苦しさやもどかしさを文字に起こすことで詰め込みすぎた想いの整理をしていたのだと思う。これは大事これはゴミこれはいつか役にたつかもそんな風に仕分けをする。中学高校の頃はまだパソコンを持っていなくて大学ノートに書きなぐってた。誰が読むわけでもないから言葉を繕って綺麗に飾る必要もない。ただただ書く。ただひたすら無心に書く。それは日記ではないから毎日書く必要もない。ノートの中ではこれ以上ない”自由”を手に入れられた。大人になってもそれは変わらない。吐き出し先がノートからパソコン、ときに誰も私を知らないネット上に想いを吐き出したりする。そう、今まさに、この瞬間も。このような行為が習慣化されて約20年。人生の半分以上行ってきて感じるのはこれは生き方の土台になっているということだ。”物事を俯瞰してとらえる”これに尽きる。仕事でもプライベートでも整理が上手くなった。志向がロジカルになる。感情に引っ張られやすい人には是非やってみてほしい。目の前のノートの中では誰にも邪魔されない。完全なる無防備でいい。そこに自分自身の”本心”が見えてくる。苦しい人はやってほしい。私も、苦しいから今こうして書いています。そして”今ここにいる証”を紡いでいます。欲しいものはこの文章を読んでいるあなたからの”共感”ではない。”共存”です。
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