いのちと死について考える
今から7年ほど前に、『死の百科事典』を購入しました。当時は、大学で教鞭を取っていましたので命の授業をする機会もあり、また、理不尽に命を奪われた人たちの人型パネルと生前履いていた靴を展示する「生命(イノチ)のメッセージ展inみえ」を開催していたことから、死について考えることが日常となっていました。
『死の百科事典』の冒頭には、次のような墓碑銘が紹介されています。
かわいいわが子よ、安らかに眠れ
神はそれが最善とお考えになり、おまえを天に召されたのだから
これは、わずか15か月で亡くなった子どもの墓碑銘です。前出の「生命のメッセージ展inみえ」には、交通事件で亡くなったよちよち歩きの男の子の人型パネルと靴が展示されていたこともあり、その男の子の顔が頭をよぎりました。
私たちは誰もが死を迎えます。かぎりがあるからこそ命は大切なのです。生きるということは、死と隣り合わせで生きるということ。古くからある「メメント・モリ」という言葉は、「死を忘れるな」という意味なのですが、「心せよ。生きることが重要だ」が本当の意味のようです。
なぜ、今回「いのちと死」について寄稿しようと思ったかというと、先日、自殺企図を繰り返した若者のカウンセリングをしていた時に、蝶の話をしたからです。古代ギリシャでは魂は蝶の姿で肉体を離れると信じられていたため、蝶は死と復活の象徴とされていました。
ある日のカウンセリングの時に、黒い大きな蝶がひらひらと飛んでいるのを見つけたので、私が「蝶はさなぎの時にどのような状態でいるか知っていますか?」とその若者に聞いてみました。そうすると、その若者は「知っています。さなぎの中はド
0