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「宇宙戦争へ突入か!?」

もしかして・・・「今、戦時中なの?」という心配がアルのじゃ。「李さん、何を言っているの?日本が戦争中なワケないじゃ~ないの!バッカじゃないの?!」^^・・・「そう、ボクもそう思いたい」・・だけど、何か怪しい「胸騒ぎ?」がスルのじゃよ。「令和6年1月1日」からの震災と、「1月2日」の「羽田航空機衝突事故」、それに「1月3日」の「北九州大火災」、それに「1月3日」の「東京無差別地下鉄傷害事件」、そして「8日の田中邸・通称目白御殿火災」・・・何か日本中というか、「列島横断大災害」という感じの、何かが「連動」するというか「連動させている」何かが存在している「気配」を感じるし~、「地下鉄無差別傷害事件」を除けば、火災によるモノが目立つよ。というか~「火炎」による「攻撃?」いや「災害?」といえばイイのか・・・とにかく「火事」ってね~、とにかく、「目立つ」し、「ど派手」なのじゃ!しかも「証拠隠滅」という「手段?」でもアルとボクは考えるぞよ。え~(^^;よく「犯罪者」がね~「証拠」を隠すために「火事?」を起こすのは知られているぞよ。だって「燃えてしまえば、逮捕されにくい」じゃん。それに「時間稼ぎ」ができるし~。でもね~「今年」の一連の事件って、ナニ?いきなり「大地震」関連の「地割れと新断層」に「歴史ある街の火災による消失や倒壊」じゃし、2日の「羽田・航空機衝突火災事故」じゃし~、先ほどにも出た3日の「北九州大火災」に、とどめは「田中真紀子邸火災事件」じゃ。テレビの「正月番組全滅?」だけじゃ~ない、日本にとっての「重大事」に思えているボク。とにかく「火災=放火?」って便利なのじゃ。これほど「効果
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ある落語家の思い上がった発言

ある高齢(80歳)の落語家が、以下のように語っていました。「日本語っていうのは日本の文化。その文化を1番、使っているのが、我々、噺家だと思いますよ。それも笑いに持っていっている。失礼ですけど、日本語を使わないで笑いを取っている芸能人の方が大勢いるじゃないですか。これも、言っちゃ失礼ですけど裸でお盆持って出てきて何が芸なんですか。私は違うと思うな。ああいうのを見て、面白いな、うまいなと思われちゃ困るんです。やっぱり日本の言葉を使って笑いを取るのが芸人であり、我々、噺家だと思いますよね。だから大いに日本人に聞いていただいて、日本語というものを、もっともっと理解していただきたい」どうですか。我田引水を絵にかいたような発言ですね。落語家の矜持から来た言葉なのでしょうが、完全に落語以外の演芸を馬鹿にしています。もともと、落語家は漫才その他を色物といって下に見ていたんですが、この人はそうした考えを今でももっているようです(実は、私も裸にお盆の芸は好きではありませんが、それは別の話です)。まず、日本語という日本の文化を1番使っているのが落語家というのは間違った自負心ですね。落語は、日本のある時期に、ごく一部の地域で使われていた話し方を受け継いだものです。それを日本全体を代表する言葉のように言うのはおかしい。この言葉は、現在では落語を演じる時以外には使えません。文化かも知れませんが、保護の対象になるような、要するに時代遅れなんですね。この落語家は「・・・ああいうのを見て、面白いな、うまいなと思われちゃ困るんです」といっています。しかし、面白いかどうかを決めるのは客でしょう。演者が押し付けるもの
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自分の声優ルーティン三本柱「稽古×創作×表現」。

普通、自分の演技論、役作りは秘めているものですが、持ち腐れても仕方ないので、口外しようと思います。今回は演技論を支える、自分のルーティンに触れます。あくまで、私の場合です。そもそも演技論は自分で定義し、自分で構築しないと個性として光らないものです。まず、自然体の自分を基準とします。素の状態ですね。ここから「稽古」へのベクトル、次に「稽古」から「創作」へのベクトル、そして「創作」から「表現」へのベクトルへと移行します。芸事の「守・破・離」というものがありますが、それを自分なりに溶かし込んだものになります。さすがに染みついていますが、寝ているとき以外、必ずこの三本柱の内の何かをやっている状態です。このブログを書いている今この瞬間も。危機感を覚えるべきは「虚」(ボーッとしている)であるということ。何の生産にも向かっていない浪費状態が、芸をどんどん鈍くしている様に感じます…。「稽古」については、毎日、あることを必ずやっています。(下手をすれば、だれもいないトイレでやっているくらいです)「創作」。これは「クリエイト」「創造」という意味合いですが、自分の中では他の意味と混じってしまうため、区別して使用しています。「表現」とは披露するもの。人の目に触れる時間。自分一人ではなく、共演者、スタッフ、お客様と接している全般を指します。もちろん、オーディション・本番も含まれます。これら3つの柱の内、「今、何をやれば効率的か」「相乗効果が見込めるか」を常に感じながら生活しています。・いざという時に役に立ちます。・雑念や混乱が無くなります。・自分で自分の可能性が見い出せます。芸というものは、日々重ねてい
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【2023】「糧」と「肥やし」、あなたが得た認識はどちら?

「芸の肥やし」という言葉があります。一方で、「明日の糧になる」といった言葉も耳にします。「糧」と「肥やし」。自分の場合、この2つは明確に意味を分けて整理をしています。日常を日常のまま過ごしてはいけない(過ごすのはもったいない)と考えるのが、役者の常です。人間観察、ネタ探し、何かにアンテナを立てて生活するのが、当たり前になっています。そんな中、「これは使える」「使えるかも」「どうかな」「う~ん」「いらない」「近づくな」など、遭遇する状況も様々です。「糧」とは芸の栄養になるもの。プラスになったエッセンスなど。「肥やし」は、失敗したときの反省材料。次に生かす。「糧」にも「肥やし」にもならない、雑多なものは視界に入れない。(これは「見えてはいるが、あえて意識的に見ようとはしない」という意味)そうすると日常の中で、自然と着眼すべきところを見る様になります。これは稽古をする上で、非常に大事な視点となります。
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お笑いにおける「芸」と「悪ふざけ」の違い

本番中にアドリブなどを入れて本気で「笑ってもいい」というか,そのほうが楽しさがお客さんにも伝わるというのは漫才の醍醐味もちろんこれは,お客さんに伝わるネタ作りや話芸を磨く努力があってこその話自分たちだけでおもしろがっているのは「芸」ではない
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