絞り込み条件を変更する
検索条件を絞り込む
有料ブログの投稿方法はこちら

すべてのカテゴリ

6 件中 1 - 6 件表示
カバー画像

360℃の視点 第6回(喜怒哀楽)

こんばんは!少しお久しぶりです。久しぶりなんで、重くて長め。喜怒哀楽は、他者と共有できる感情だと思います。分かち合い。誰かの喜びは自分のことのように嬉しく、誰かの哀しみは自分のことのように痛く、一緒にいなくても楽しくなり、話を聞いただけなのに怒りが込み上げる。喜怒哀楽なら共有できるのです。喜怒哀楽なら…共有できないのは、この4つから外れたとき。憎しみ、妬み、享楽、侮蔑、自己憐憫…。ほかにもあるかな。共有できないのは、これらの感情は誰一人として幸せにならないから。この道には先がないのを知っているから。負の感情の連鎖。自分も他者も傷つける。道を違えてしまう。だけど、自ら進んで好きでこの感情を抱くわけじゃない。そこには必ず理由がある。それもそれこそ人生を変えてしまうくらいの大きな大きな理由。誰かと比べて大きい小さいじゃない。自分にとって自分を見失ってしまうほどの理由。一撃だけじゃない、何年も積まれて蓄積された理由もあると思う。それでも喜怒哀楽を外れたこれらの感情に未来はない。重荷にしかならない。1歩も進めないどころか、負の鎖に引っ張られて地に体がのめり込んでいく。だからそうならないように、なんとか、何度も、泣きながら、未来がみえなくても、自分を奮い立たせるしかない。勉強を頑張る、仕事を頑張る、家事を頑張る、ほかにもいろんな頑張るがあるけど、全身全霊で頑張るのは、ココだと思う。踏み外さないために、踏み外したとしても戻ってくるために。哀しみを怒りに変えても、怒りを憎しみに変えてはいけない。怒りは怒りのまま。そのまま。怒りなら誰かと共有出来る。共有出来れば、自分ひとりで抱えなくてすむ。そし
0
カバー画像

360℃の視点 第5回(豊かな世界)

こんばんは!早速、本題。私が思う豊かな世界は、一人一人が自分を消すことなく生きる世界。一人一人が認められた世界。認められたというか、別に誰かに認められる必要はなく、ただそこにいるだけで良いというか、この世界には全員、必要なんです!と思ってます。全員が世界にたった一人しかいないって、とても貴重だと思いませんか??誰も自分の代わりにはなれないんです。気をつけるべきは、自分を消すことなく、というのは、何が何でも人を押し退けて自我を通すことではなく、自分を消さない代わりに、他者も消してはならないこと、だと思うのです。時には人に譲り、時には感謝とともに受け取る。自分が自分らしくあるがままに生きるためには、そこには、自分だけじゃなく他者への尊重の気持ちが必要不可欠だと思います。…自分も消す、他人も消すは、とても悲しいです。これはそう簡単に語れることではないので、ここでは控えます。自分を消す、日常の中でもあると思います。例えば、友人の輪の中で、本当はたいして好きでもないのに、みんなが好きだと言えば、それに賛同する、とか。面倒じゃなくていいですよね。わざわざそこで、自分はちょっと…って言って水差す必要もないかな、って。ただ、それがずっと続くと、疲弊してきます。なぜなら、これは調和ではなく、自分を消しているからです。自分を消してばかりの世界にいると、とても辛いと思います。(消さないと生きていけない世界のことは控えます)難しいですけど…正直な方が生きやすい気がします。ホントはお金ないのに、あるふりしてたら、誰も助けてくれません。正直にお金ない、って言ってたら、どこかでそれを小耳に挟んだめちゃくちゃ
0
カバー画像

360℃の視点 第4回(言葉)

こんばんは。今日は「言葉」について。ちょっと重いかもしれません…。言葉はすごく強い力を持っていると思います。特に暴言は…。暴言は、「かつて自分が言われて深く傷ついた言葉」かと思います。言葉はたくさんあるのに、数多くの言葉の中から、わざわざソレを選んでくるのです。なぜそれを選ぶのか。それは「知っている」からだと思います。過去に自分が言われて傷つき、そして、今でもその言葉が刺さったまま抜けていないからだと思います。それは視点を変えれば暴言なのに、悲しい!苦しい!ってゆうSOSにもきこえます。誰かにぶつけて痛み分けをしているのかと…。そうはいっても、実際は、この人なんでこんなこと言ってくるの!?って、びっくりするとともに、やはり傷つきますが、なんで?と思うことには必ず理由があるはずです。しかしその理由を知ることは出来ません。言ってる本人だって理由なんてもう分からないかも。なので、そんな状況になった時は、「自分」に対してひどいことを言われた、とは思わず、これはこの人の痛みで、私を全否定しているわけじゃない、と真っ向から受け止めないことが、大事かなと思います…。暴言を吐くその人は別の誰かにそれを言われて、別の誰かはまた別の誰かに…最初の最初は誰が言った言葉なのか、もはやたどることも出来ない負の連鎖は、引き継ぐ必要はないと思います。引き継がなければ、他の誰かに渡すこともないので。少し重かったですかね。またです♪おやすみなさい<(_ _)>
0
カバー画像

360℃の視点 第3回(自立)

こんばんは。副題を()書きにしてみました。2回目もこそっと追記。今日のテーマは「自立」この考えも人とちょっと違うかも?イヤ、みんなもうとっくに気づいてた?学生の頃、社会人になってから、その後、いろいろあると思いますが、私が考える「自立」はこんな感じです。①私にはこれ(強み)がある、これは人よりちょっと得意だと思う。↓②…上には上がいる。私ぐらいのやつは他にごまんといる。↓③結局のところ…私には何もないんだ。(この先です!重要☆)↓④私には私がある。「私には私がある」ここに至ったとき、初めて自立したといえる、ここがスタートだと思うのです。なぜなら、上の①~③までが、他者の中に自分を置いています。自分が外側に出ています。④で初めて、自分を自分の中に落とし込むことが出来ています。自分を他者の中に置いたまま成功すると、いつも不安、いつも利益追求、いつも競争…そうして、ふと振り返ってみたとき、自分の体は、ずっと動いていないんです。ただそこにずっとうずくまったまま。多くを持つほど弱くなり、持たないほど強くなります。シンプルに私だけ持つことこそ、自分の中に立つ。自分の中に立ってはじめて、道が開き、1歩を踏み出せると思うのです。自立して得た成功は、いつでもまたすぐにスタートへ戻れます。リセットすることに不安がないからです。自分でリセット出来る力、何度も成功するためには必要不可欠かと。①②③をわざわざ通らず、最初から④に行けば近道ですね!そんじゃまた('ω')ノ
0
カバー画像

360℃の視点 第2回(笑顔)

こんばんは。今日も1日、お疲れ様です♪笑顔は癒されます。大切な人たちの笑顔にも、通りすがりの知りあいじゃない人たちの笑顔にも。知らない人たちの笑顔は、いつも楽しくて幸せだから笑ってるんじゃなくて、やっと、ようやく…、笑えたのかも、笑えるようになったのかもしれないな、なんて思ってしまうので。それか、辛い中でもひと時の笑顔かもしれないし。でも無理して笑顔だったら、かなしいですね。夜ひとりになった時に泣いているのかな。って思っちゃいます…。一人で抱え込んで頑張ってるのかなって。ギュッと抱きしめたくなります(しないけど)。無理して笑う必要はないよね。苦労の無い人なんかこの世にいないから。辛いときは辛いんだ!それでも無理してでも笑ってる時間の方がいいときもあるかも。自分でなんとか笑顔の時間を作ってるのかも。だから、そんな時は、無理しないでいいよ。って言葉より、一緒に笑うかな!そしたらそれはもう無理した笑顔じゃなくなる気がします☆それではまた(^^)/
0
カバー画像

360℃の視点 第1回

みことのあです。ご縁あってココナラさんを知り、早速出品させて頂きまして、そしてブログなるものを初めて書きます。よろしくです♪続きますように~。タイトルは、私のモットーといいますか、経験から学んだものをタイトルにしました。360℃!地球は丸いから。目の前が真っ暗闇の時、光は大体、自分の後ろにある、ということです。下を向いて真っ暗なら、光は上かな。目の前の光だけを見ているときは、闇が見えていない。光も闇も強いから!目の前にくるとまるで囲まれてる気がしてくるのでしょう。しかし、それは錯覚だと気づきました。光も闇もいつも半分です。半分だけ見ていたら、気づかないんです。突破口も、他の誰かの涙も…なので、360℃視点、結構、大事だと思ってます!丸い地球に住んでるからね!それでは。今日はこの辺で('_')
0
6 件中 1 - 6
有料ブログの投稿方法はこちら