360℃の視点 第6回(喜怒哀楽)

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こんばんは!少しお久しぶりです。
久しぶりなんで、重くて長め。

喜怒哀楽は、他者と共有できる感情だと思います。
分かち合い。

誰かの喜びは自分のことのように嬉しく、
誰かの哀しみは自分のことのように痛く、
一緒にいなくても楽しくなり、
話を聞いただけなのに怒りが込み上げる。
喜怒哀楽なら共有できるのです。喜怒哀楽なら…

共有できないのは、この4つから外れたとき。
憎しみ、妬み、享楽、侮蔑、自己憐憫…。ほかにもあるかな。
共有できないのは、これらの感情は誰一人として幸せにならないから。
この道には先がないのを知っているから。
負の感情の連鎖。自分も他者も傷つける。
道を違えてしまう。
だけど、自ら進んで好きでこの感情を抱くわけじゃない。
そこには必ず理由がある。
それもそれこそ人生を変えてしまうくらいの大きな大きな理由。
誰かと比べて大きい小さいじゃない。
自分にとって自分を見失ってしまうほどの理由。
一撃だけじゃない、何年も積まれて蓄積された理由もあると思う。

それでも喜怒哀楽を外れたこれらの感情に未来はない。重荷にしかならない。
1歩も進めないどころか、
負の鎖に引っ張られて地に体がのめり込んでいく。
だからそうならないように、なんとか、何度も、
泣きながら、未来がみえなくても、自分を奮い立たせるしかない。

勉強を頑張る、仕事を頑張る、家事を頑張る、
ほかにもいろんな頑張るがあるけど、
全身全霊で頑張るのは、ココだと思う。
踏み外さないために、踏み外したとしても戻ってくるために。

哀しみを怒りに変えても、怒りを憎しみに変えてはいけない。
怒りは怒りのまま。そのまま。
怒りなら誰かと共有出来る。共有出来れば、自分ひとりで抱えなくてすむ。
そしたら、怒りに満ちた心に少しだけ隙間が出来る。
その隙間は、怒りだけじゃない感情をまた呼び起こす。
少しだけ希望をうむ。小さな希望は生きるパワーになる。
そしてその力は誰かの役に立つかもしれない。
何かが変わるきっかけを生むかもしれない。

これは全くもって私の想像でしかないけれども、
負の感情を断ち切るまで、なんども繰り返される気がする。
なんども試される。
出来るまで、何度も何度も。
天は手を変え品を変え同じような状況をつきつける。
転生があるとしたら。今世で出来なければ、また来世で。
また来世…いつまで続くの気が遠くなる…
じゃあ、永遠に続くのなら、
もう今世で克服するしかないのかな、ってあきらめに似た境地。
それはでも…、
ある意味、道が開くチャンスなのかもしれない。

そんなことをごちゃごちゃといっつも考えています。

それではまた<(_ _)>





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