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こころが少しだけ強くなる言葉10選(戦国武将編)

①「一矢報いんと欲するならば、十矢をもってこれを報ず。」 - 今川義元 ②「敵は本能寺にあり!」 - 明智光秀 ③「兵は神の如し。知恵と勇気をもって戦わば、必ずや勝利を得ん。」 - 織田信長 ④「小さなことにこだわる者は大きなことをなし得ず。」 - 武田信玄 ⑤「敵は本陣にあり。自ら打って出て、敵を討て。」 - 上杉謙信 ⑥「乱れた世を正すには、まず己を正せ。」 - 豊臣秀吉 ⑦「武士は風の如く。動きながら、影響を与えよ。」 - 前田利家 ⑧「知識は武士の最大の武器。学び続け、己を磨け。」 - 武田信玄 ⑨「信じる心こそが、最も強力な武器である。」 - 北条氏康 ⑩「一度の敗北にこだわるな。立ち上がり、次へ進め。」 - 伊達政f
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戦国武将のキャラクター分析(第5回目)

今回、戦国武将のキャラクター分析の第5回目は、 『日本一(ひのもといち)の兵』と言われた 真田 信繁(幸村) の登場です。 真田信繁と言えば大河ドラマにもなり、大阪冬の陣では、有名な出城『真田丸』を造り 鉄砲隊を率いて徳川勢に大打撃を与え、 夏の陣では家康の本陣に3度突撃し、 家康を自害寸前まで追い詰め武名をあげた。 それでは信繁のキャラクターはと言うと㉗波乱に満ちたペガサス そして、このキャラクターの性格は、 “近寄りがたい雰囲気と気さくな人柄が同居している人。もともとは空想の世界に遊ぶのが好きで、一切の束縛を嫌う自由人です。幅広い知識と天性のひらめきで手掛けたことは高い完成度を見せる。何かひとつ飛びぬけた才能を持っている天才肌が多い。更に物事を深く掘り下げて分析し、人の心理を見抜いたり、先を読む力にも優れている。仕事上では相手のスキルよりも礼儀や礼節を重んじ、義理人情に厚く、自分にも他人にも厳しい。ただ、気分次第で別人のようになり、人生は運気の影響を受け波乱に満ちる傾向にある。” ※動物キャラナビから抜粋 とあります。 そして、ペガサスの大きな特徴は、 キャラクターの中で唯一、架空の動物そして空を飛ぶことが出来ると言うことです。 ですので、 ・人の思いつかない発想をする・ピンとくる直感力が鋭い・空を飛べるので先見の明がある ここまで書いてみて、信繁の生涯とペガサスのキャラクターが持つ特徴があまりにも合致していることに気が付きました。 ㉗波乱に満ちたペガサスのリズム(宿命)は “鉱脈” キーワードは、 熱しやすく冷めやすい 激しい行動人間 使命感 止まるのが嫌! 例えるとマグ
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個性心理學による、戦国武将のキャラクター分析(第4回目)

今回、戦国武将のキャラクター分析の第4回目は、 戦国武将の中でもイケメンの呼び声が高い 伊達 政宗 にスポットを当てます。 伊達政宗と言えば、 お洒落で粋な振る舞いをする「伊達者」の由来であることは有名な話。 それでキャラクターを調べてみると ㉒強靭な翼をもつペガサス そして、このキャラクターの性格は、 ・乗っている時とそうでない時の落差が激しい ・長所はすごいが、あとは平凡 ・ピンと来る感性はすごい ・ポイントは一言でいい ・いちいち細かく指示されるとダメ ・束縛される環境に弱い ・わがままである ・根拠のない考え方をする ・大げさな人が多い ・一番面倒臭がり屋 ・豪華絢爛 ・断られる前に断ってしまう ・自分で自分がわからない ・他人が横を通っただけで気になって仕方ない ・社交辞令の天才 ・人を使うのがうまい ・うなづきながら他の事を考えている(※動物キャラナビから抜粋) とあります。 ところで、伊達政宗ってどんな人だったのでしょうか? まさに人生波乱万丈! 4歳のときに疱瘡(天然痘)で右目を失明したことをきっかけに、 実母に疎まれ実母は弟の小次郎を溺愛するようになる。 17歳で伊達家第17代当主となるが、 翌年、畠山義継により拉致された父輝宗を、 鉄砲を放って輝宗もろとも一人も残さず殺害した。 また、当時関白であった秀吉の命令も無視して戦を続けたり、 秀吉が小田原の北条氏と戦っているときも、 ギリギリまでどちらに付くか決めず小田原に参陣しませんでした。 結局、遅参した政宗は石垣山城の普請場によび出され、 秀吉に謁見することになったのですが、
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個性心理學による、戦国武将のキャラクター分析(第3回目)

好評をいただいております個性心理學による、戦国武将のキャラクター分析の第3回目は、 信長、秀吉と続きましたので、三英傑最後のこの人 江戸時代260年の礎を築いた “徳川 家康”にスポットを当てます。 豊臣秀吉は猿と呼ばれていたのと言うのは、前回お話ししました。 そして、徳川家康と言えば “たぬき親父” と呼ばれていたのもあまりにも有名な話。 と言うことは、やはりキャラクターは “たぬき” なのかと思いきや・・・ 「52統率力のあるライオン」なんか、ちょっと残念な感じが・・・。 そして、このキャラクターの性格は、 “外面的にはあまり自分の意志や感情を出さず、相手の言い分をおとなしく聞く謙虚で穏和な印象です。 けれども、自分の考えには絶対の自信あり。最初は相手とイープンな立場で接しながら、だんだんと自己主張してリーダーシップを発揮していきます。 独断的とも言えますが、何ごとも冷静にこなし、自分にも他人にも厳しいので、人からは信頼されるでしょう。 でも本当の姿は、警戒心が強く、人間嫌いで孤独を愛する人。叙情的な感性のもち主で、自然や芸術を好みます。” ※動物キャラナビから抜粋 とあります。 “外面的にはあまり自分の意志や感情を出さず、相手の言い分をおとなしく聞く謙虚で穏和な印象です。” これなど、幼少期から人質として今川家に送られ、信長に同盟し、秀吉には臣従していた、家康そのものですよね。 そして、秀吉が死去すると段々と独断的にリーダーシップを発揮し、関ケ原の戦いで石田三成を破り、大阪の陣で豊臣家を滅ぼし、幕府の統治体制を盤石なものとしていき、将軍職を秀忠に譲り駿府城に隠居した後も、
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個性心理學による、戦国武将のキャラクター分析(第1回目)

今回は、個性心理學による、戦国武将のキャラクター分析をお伝えします。第1回目は、皆さんもご存じ、戦国武将の代表織田 信長 にスポットを当てます。 織田信長と言えば “第六天魔王” “鳴かぬなら殺してしまえホトトギス” と言うような、激しいく冷徹なイメージが強いですが、 個性心理學的に見ると、少し違うような部分も見えてきました。 織田信長の本質のキャラクターは『束縛を嫌う黒ひょう』です。 このキャラクターの性格は、 “礼儀正しく□数は少ない不言実行タイプ。鋭いカンで相手の心を読む。 1つのことをきわめていく性格なので、何ごともよく考えたうえで行動し、浅はかな失敗とは無縁です。直観力が鋭い反面理論的な説明は苦手。駆け引きや説得は得意です。その場の相手の心理を鋭いカンで見抜けるので、次に打つ手が即座に頭に浮かびます。 義理人情にも厚く、周囲の人望や信頼を集める。” ※動物キャラナビから抜粋 とあります。 私たちが学んできた信長像となるほどと思う部分と、あれっ?と思う部分がありますよね。 説明の前半、 直感力が鋭く理論的な説明は苦手、駆け引きが得意で次の打つ手が即座に浮かぶ。 これなどはまさしく私たちが知っている信長像ですよね。 説明の最後に、 義理人情にも厚く、周囲の人望や信頼を集める。 とあります。 これについては、 『信長公記』などにこんな逸話が残っています。 天正9年(1581年)7月15日のお盆では安土城の敷地全体に明かりを灯し、城下町の住民たちの目を楽しませるといった行動をとっており、身分に拘らず、庶民とも分け隔てなく付き合い、仲が良かった様子がうかがえます。 また、実際、
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国宝『石清水八幡宮』へ 参らん!

2023年 7月11日 火曜日 まあまあ 動画編集も終えて サムネイルも作り終えて いつ 世に放つか? タイミングを計っている今日この頃。 実は昨日、 『石清水八幡宮』へ行きました。で プロダクション案件の一つで クラウドファンディングをして 苦労されておられる八幡宮様を 支援する一環として 側面より 発信して行く事で 広がりを手助けする みたいな感じ? 石清水八幡宮は 当時の戦国武将らが 勝運を高めるために通った場所。 ⛩石清水八幡宮昇殿ツアー⛩ 「スケジュール」 11時に 京阪電車の「石清水八幡宮駅」に集合。 史衣さんの実家 (駅の近所)「レストラン百花園」でランチ。 その後、 石清水八幡宮へ。 神主さんの説明付きの昇殿ツアーで 普段は入れない宮内内部を見学 解説等を して頂きます。 13時から1時間ほど案内頂き、 その後は 自由解散です。 歴史に思いを馳せる 特別な時間に・・。 かなり以前から聞いていて 何度か開催されています。 史衣さんから 個人LINEへ連絡が入り、 空いている私も 今回 参加する事にしました。 グループLINEで 飛び交う名前の方々と まともに顔を合わせるのは初で ちょっと緊張。 車を出して下さる男性が一人。 女性が一人。 史衣さんと私の 合計四人。 お昼前に落ち合い、 近くで営業されているという レストランで「お食事会」 以前に 何処かで顔を合わせている そんな関係だったりも します。 名刺を お渡ししたり、 近況の伝え合いも しました。 私の「話」も 皆 聞いてくれました。 学生時代は三年間 「寮生活だったんだよ。」とか 「鬼ごっこでは 鬼役ばっ
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No,63 吉川元春~「本能寺の変」知り、秀吉追撃を主張~

吉川元春~「本能寺の変」知り、秀吉追撃を主張~ 戦国武将たちの生き方から、現代人が学ぶべき点、反面教師にすべき点を、戦国時代史研究の第一人者である筆者が解説します。  吉川氏は本姓藤原氏で、藤原南家の祖、武智麻呂(むちまろ))の子孫と称しています。名字の地は駿河国有度郡吉香(きっか)郷(静岡市清水区)で、鎌倉時代のはじめ、梶原景時一族が謀反を起こし京都に向かったとき、それを駿河で討ち取った一人に、吉香小次郎がいました。  また、1221(承久3)年の「承久の乱」のとき、吉香経景・義景兄弟が、宇治川を渡って敵と渡り合い、その功によって、経景に安芸国佐東郡(広島市)の地頭職が、義景には同じく安芸国山県郡戸谷(広島県北広島町)の地頭職が与えられ、安芸国に根を下ろすことになります。西遷御家人として、この後、「吉川氏」を名乗っています。 「毛利両川」本家支える  戦国時代には、吉川興経が毛利元就と同じランクの国人領主だったのですが、元就の力が強くなったとき、興経は、元就の次男元春を養子として迎えています。1547(天文16)年のことです。  一見平和裏にことが運ばれたようにみえますが、その3年後、元就は興経を殺していますので、元就による吉川家乗っ取り劇とされています。  この後、元春は1555(弘治元)年の厳島の戦いをはじめ、山陰・山陽、さらに九州各地での戦いにおいて、父元就に従い、小早川家を継いだ弟・隆景とともに大活躍をすることになります。  毛利家では、本家を継いだ長兄隆元が早くに亡くなったため、隆元の子輝元を、元春と隆景が補佐する態勢がしばらく続きます。吉川の「川」、小早川の「川」
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#270 2022年上半期ユーザーが選んだベスト・オブ・戦国武将

「リクスタ」(千葉県市川市)が8月24日、「2022年上半期ユーザーが選んだベスト・オブ・戦国武将」を発表しました。仙台市にある伊達政宗像。 各種アプリ開発などを手掛ける「リクスタ」(千葉県市川市)が8月24日、「2022年上半期ユーザーが選んだベスト・オブ・戦国武将」を発表しました。同社の村作りシミュレーションアプリ「戦国村を作ろう!」「戦国村を作ろう2」ユーザーに「好きな戦国武将は誰か?」を聞いたところ、「織田信長」が他の武将を引き離して1位となりました。織田信長が断トツ 投票は8月5日~15日に実施。有効投票数は395票でした。1位の織田信長は78票を獲得。ユーザーの投票理由には「天下統一の土台を作った有能さ」「生きざま」などを評価する意見が集まりました。 2位は「伊達政宗」で36票。「独眼竜がかっこいい!」「兜(かぶと)がかっこいい」など、見た目の格好良さに関する意見が多く寄せられました。3位は「武田信玄」で35票。「家臣を大事にした」「仲間思い」など、人柄を評価する意見が多く寄せられています。
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#235 【戦国武将に学ぶ】黒田長政~関ケ原の勝利導いた、父譲りの謀略~

【戦国武将に学ぶ】黒田長政~関ケ原の勝利導いた、父譲りの謀略~戦国武将たちの生き方から、現代人が学ぶべき点、反面教師にすべき点を、戦国時代史研究の第一人者である筆者が解説します。黒田長政が築いた福岡城の跡(福岡市)黒田長政は、1568(永禄11)年、出家後の名前如水(じょすい)でも知られる黒田官兵衛孝高(よしたか)の嫡男として生まれています。父の官兵衛が豊臣秀吉の軍師としてあまりにも著名なため、その陰に隠れた存在ですが、長政も大きな功績を残しています。たびたびの危機、乗り越える ただ、順風満帆な一生だったわけではなく、いくつかの困難を乗り越えています。一つは、織田方の人質となっていたとき、危うく殺されそうになったことです。 父官兵衛が、主家播磨御着(ごちゃく)城主の小寺政職(まさもと)を織田信長側につけたとき、まだ松寿丸(しょうじゅまる)といっていた10歳の長政が、人質として織田方に出されました。長政は羽柴秀吉に預けられ、秀吉の居城だった長浜城に抑留されていたのです。 その折、摂津有岡城の荒木村重が信長に対して反旗を翻し、織田方に戻るよう説得に行った官兵衛は、有岡城に幽閉されてしまいました。信長は、官兵衛も荒木方になったと誤解し、松寿丸の殺害を命じています。このとき、秀吉のもう一人の軍師竹中半兵衛は「官兵衛が裏切るようなことは絶対ない」と、松寿丸をかくまったため、長政は命拾いをしました。 1582(天正10)年4月の備中冠山(かんむりやま)城攻めの際、15歳で初陣を果たし、その後、山崎の戦い、さらに九州攻めというように、長政は官兵衛と一緒に活躍の場を広げていきます。 その九州攻
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行動原理について考える

「お・も・て・な・し」。この言葉、東京オリンピック招致の時に有名になりましたね。その後こんな状況になるなんて夢にも思いませんでしたが・・・。さて日本人は「礼」を重んじ、お客様を心からもてなす、と言われます。また正義感も強い。税金はきっちり払う。まあ源泉徴収&年末調整の国ですから。米国は勤め人も確定申告です。日本政府は納税を企業にまかせちゃったのです。だからとりっぱぐれがない。日本人は所得税減税しても実感がないから、経済効果は小さい。それに比べ、個人が確定申告する米国は減税効果大です。 一方、日本人は寄付の金額が極端に少ないと言われています。海外の人は寄付をたくさんするんですね(もちろん余裕がある人)。なぜかはよくわかりません。結果、日本人は「外からのお客様」には親切だけど、「弱者」には冷たいという印象があるようです。つまり「おもてなし」は得意だけど、「手をさしのべる優しさ」には乏しい。日本人はルール、マナー、コンプライアンスを重視する。でも弱者や困っている人を積極的に助ける行動は少ない。ほんとですかね? ここで人間の行動原理について少し考えてみたいと思います。 行動原理を辞書で調べるとこうです。「行動の根源的な動機となる本能・欲求・願望・信条・価値観など」。この動機をもう少し深掘ります。儒教で五常というものがあります。「仁・義・礼・智・信」。これ自体は大事にすべき価値観に近く、直接的な動機とは少し異なります。私見ですが、私は動機になるのは「利・理・正・礼・徳・快」だと感じています。利益、道理、正義、礼節、道徳、愉快です。〇〇だからやる。これが行動原理だと思います。この中で日本人
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好きな戦国武将

今日もアクセスありがとうございます。今日は、好きな戦国武将について語りたいと思います。織田信長戦国武将と言えば織田信長が真っ先に浮かぶ人が多いのではないでしょうか?織田信長をきちんと記憶したのは、小学5年生の時、パソコンゲーム「信長の野望」をやったことで記憶しました。小学6年生の社会の勉強で、安土桃山時代だけ成績が良かったです。好きな理由時代を変えた一人革命児異端児とも呼ばれているけど、個性が強いと考えれば普通なこと鉄砲を導入した奇策信賞必罰が括弧された人茶を広めるきっかけになった人石田三成豊臣秀吉が溺愛したといわれる武将の一人悪役に思われがちだが実際はそうではない関ヶ原の戦いで敗れる好きな理由胃腸が弱かったという説があり自分も胃腸が弱かったので勝手に親近感を抱いた幼き頃に茶の入れ方をマスターしていた秀吉に登用されてから死ぬまで秀吉に忠義を尽くし通した言葉が足りていれば関ヶ原の戦いはおきなかった大谷吉継との絆戦国無双シリーズで初登場したときのキャラクターに惚れた伊達政宗仙台藩主七夕・ずんだ餅を取り入れた実母に殺されそうになる好きな理由行動力が斬新奇抜実母に殺されそうになったのに実母が殺されそうになると助ける姿勢仙台第一に考えていたところ最後までご覧いただきありがとうございました。皆さんの好きな戦国武将は誰ですか?是非教えてください!
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チャートパターンは戦国武将!

こんにちは”アンパンマンFX”のアンパンマンです 今回は、”チャートパターンは戦国武将!”というお話です 人それぞれ、手法は違いますが、 アンパンマンは、チャートパターンを見ると戦国武将に見立てています! 戦国武将もいろいろいて、それぞれ得意な戦場と苦手な戦場があります。 例えば、トリプルトップは前田慶次、高値ならびに現れると強いが、 高値更新中に現れると下げが一時的な押し目と判断される恐れもあるので、 深追いすると返り討ちに遭うかも知れない!から見送るとか、 他のチャートパターン等、影響を与える要因をそれぞれ戦国武将に見立てて、 前田慶次に直江兼続が参戦してきたら、激熱や! みたいな感じで、チャートが進んでいくのを待ってます 注目度の高い経済指標発表の日などは、嵐の日なので見送る!っていうイメージです。 もちろん、言うまでもありませんが、毎回判断するのではなく、 戦国武将の誰と誰が、どこで力を合わせて戦うときに 自分がトレードするか?は前もって先に決まってます 僭越ですが、、こんなお話でした。 ”アンパンマンFX”のアンパンマンでした。 お陰様で、アクセス数が一気に伸びてきて、 先日一日のアクセス数が100を越えました! 記事を書く励みになります ありがとうございます アンパンマンFXの手法も販売させていただいてはいますが、 大切なことは、ブログ記事にもいっぱい書きますのでブログ読んでいただいてましたら、 お役に立てると思っております ※ このブログの情報に関して一切の責任は持てません。 実際の投資はご自身の判断と責任にて行なってくださいませ
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