母が遺したテッセンが、今年も咲いた
ゴールデンウィーク、実家の庭がジャングル化していたので出かける予定が何もない暇つぶしに草むしりを。無心で雑草を抜いて視界が変わっていくと見えてきたものはテッセン。またの名はクレマチス。薄紫の、静かな花。母が大切にしていた花です。毎年、この季節に母が他界してから、何度目の春でしょう。世話をしているわけではないのに、テッセンは毎年この季節になると咲きます。派手ではない。ひっそりと、でも確かに、そこにある。草むしりの手が止まりました。命は、続いていく花を見ながら思ったことがあります。母はもういない。でも、母が愛でていたこの花は、今年も咲いた。誰かが大切にしたものは、その人がいなくなっても、かたちを変えて続いていく。それは植物だけの話ではないかもしれない。その人が注いだ愛情も、残された人の記憶も、ひっそりと、でも確かに、生き続けている。悲しみと、一緒に生きていくグリーフの仕事をしていると、「いつ立ち直れますか」と聞かれることがあります。私はいつも少し考えてから、こう答えます。「立ち直る」というより、「一緒に生きていく」のだと思います、と。テッセンを見るたびに母を思い出す。それは悲しいことでもあるけれど、同時に、あたたかいことでもある。喪失は消えない。でも、その重さが少しずつ、違うものに変わっていく瞬間がある。今日の私には、それが一輪の花でした。最後に大切な存在を亡くした悲しみを、一人で抱えていませんか。話せる場所を今後展開したいと考えています。
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