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自分を好きになるために

SNSで見つけたものです。 “精神科の先生に自己肯定感を高めるにはどうしたらいいのかと質問したところ・・・”自分を認めたり、褒めたりするってあまり簡単なことではないですよね。自分に自信があるというよりは自信がないという人の方が圧倒的に多いように思います。とある女性は精神科の先生に自己肯定感を高めるにはどうしたらいいのかと質問したところこんな回答が返ってきたそうなのですが、その回答がとても考えさせられると話題になっています!「そもそも人間は自分を好きになるのは物理的に無理。自分について気分が良くなるのは好きなことをしている時だけ。だから好きなことをたくさん増やして、自分の拠り所になる対象を分散させること」なるほどです。何にもせずに「自分を好きになろう」としても、できないわけです。そして、私が好きだったCMのコピーです。 「世界を小さく感じるこの地球儀が好き」 「私のマネージャーみたいなこの時計が好き」 「名前を大切に書けるこの万年筆が好き」「泣きたいときに泣けるこの本が好き」「秘密がいっぱい入るこのバックが好き」「あの人の目線に近づけるこの靴が好き」「好きがたくさん集まって私らしくなっていく」 好きなことをたくさん増やしましょう。 ことでもいいし、ものでもいい。 そして、ひとつひとつ書き出してみましょう。そうすれば、書いてるうちからしあわせな気分に包まれます。
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泣いて恨んで失望して、それでも笑って軽やかに歩く

セミナー「ちょっとの気づきであなたが変わる」 より 軽やかに暮らす ・本当に大切なものを思い出すとき ・好きなこと、やりたいことをする ・生きる理由はわからないけれど、生きたいと思う理由はわかる ・生きたいと思う気持ち ・パズルのピース ・軽やかに暮らすとは 「軽やかに暮らす」 いい言葉だ。 これは所ジョージさんの言葉。 軽やかに暮らすとは、何も感じない、考えないことではない。泣いて恨んで失望して、それでも笑って軽やかに歩くことだと思う。 気づきの点と点がつながり線になる。それが三本集まれば形になり一片のピースになる。ピースを集めた人生パズルには、元々何かが描かれているが、私には死ぬ瞬間までわからない。歳をとってピースが集まり、形が少しずつ見えてくると、絵の中に明暗が出来る。明るい色のピースは、暗い色のピースがとなりにあって初めてその存在に気づく。徐々に絵が出来上がると、今の自分が見えてくる。同じことをしていても、その思いが変われば今までとは違った自分の姿が見える。それが気づいて変わることだと思う。「ちょとの気づきであなたは変わります」というタイトルで、今まで書いたものをまとめています。ほんのちょっとの気づきをいくつも積み上げることで、やがて自分が変わる。 ゆっくりでいい、気づきを残すこと。何か変? 何か気になる? と思ったことは、今その理由がわからなくても残しておくこと。やがて点と点がつながり一片のピースになり、やがてパズルが完成される。 ちょっとした変化に気づくこと、少しの違いに「気づく」こと。そして自分の気持ちの動きに「気づく」こと……小さな「気づき」のなかに、あなた
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苦労と不幸は違うのです

相模原障害者施設殺傷事件ウィキペディアより2016年(平成28年)7月26日未明に神奈川県相模原市緑区千木良476番地にあった神奈川県立の知的障害者福祉施設「津久井やまゆり園」にて発生した大量殺人事件。元施設職員の植松 聖(うえまつ さとし / 事件当時26歳)が施設に侵入して所持していた刃物で入所者19人を刺殺し、入所者・職員計26人に重軽傷を負わせた。殺人などの罪で逮捕・起訴された加害者・植松は、2020年(令和2年)3月に横浜地方裁判所における裁判員裁判で死刑判決を言い渡され、自ら控訴を取り下げたことで死刑が確定した。遺族が裁判で意見陳述したとき、犯行を正当化し続けた被告に対して、 「苦労と不幸は違う」と反論していた。 「苦労と不幸は違う」   この言葉は重い。 犠牲になった男性の母が弁護士を通じて訴えた。 「被告は、障害者は不幸を作ると言っていますが、不幸をつくったのは被告。息子は不幸なんてつくっていません。いつも幸せをつくっていました。苦労と不幸は違うのです」 そう訴えていました。 どんな人生にも苦労はある。それは事実です。苦労を苦労と思わず、「がんばれ」とはいいません。苦労は苦労として、自分も相手もねぎらうべきです。「大変だったね」と、いってあげればいい。 でも、苦労=不幸と思わない。苦労はしても不幸ではない 被害者男性の遺族の方もお世話に苦労はあっても、笑顔に救われたこともあったでしょう。だから不幸ではなかった。 これは私たちにも言えることだと思います。 苦労=不幸と思えば、幸せでない部分、報われないことばかり頭に浮かびます。苦労≠不幸と、苦労と不幸を単純に結びつ
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怒りは自己を正当化し、正義になりすまそうとする

【軽やかに暮らす】自分が腹を立てた時、怒った時、少し冷静になって考えたい。 「この怒りで自分を正当化していないだろうか」 「正義になりすまそうとしていないだろうか」 怒れば怒るほど自分を正しいと思い込むようになる。自分の正義がすべてだと思うようになる。だから百人いれば、百の正義がある。 でも正義には制限がある。  「決して人を傷つけてはいけない」 怒りが自分を正当化するのは、自分の心のクセかもしれない。 だから同じことを何回も繰り返す。だったら、変える行動を試してみればいい。 例えば、 「腹が立ったら、自分が信じる『正しさ』について疑う」 多くの怒りはこれで少し収まり、心は落ち着きを取り戻す。怒りの行き場を確保することができる。これは相手だけでなく、自分を守ることになる。  そして、怒りの原因となった事象を冷静に整理する。これは心でなく認知脳の仕事だ。 「怒り」という感情が、認知脳の中に入り込むと「正義」という偽りの論理を作り出す。だから、怒れた時は少し立ち止まって考えたい。それでも自分の正義を押し通すとしたら、それは、他人を傷つける覚悟がいる。正しいことをしても、それによって誰かを傷つけたら自分を律する責任がある。それが覚悟だ。 正義を謳って自分だけは安全地帯にいることは出来ない。 怒れた時は少し立ち止まって考えたい。 怒りという感情と正義という論理を切り離して考えたい。 正義から生まれた怒りなのか、怒りから生まれた正義なのか 冷静に判断したい。
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