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強い氣持ちを持つ

強い「氣」を持つ、つまり、強い「氣持ち」であることが生きていくために必要。正直言って、この世界は、不公平。人間関係もまた、例外ではありません。他人との関わり合いの中で、尊敬と軽視のバランスを保つことは、とても重要です。「氣」という意識のエネルギーをしっかり持つことは、単に精神的な強さや意志の力を意味するのではなく、人間としての尊厳、自尊心、そして周囲との正しい関係を築くための内なるバランスを意味します。「氣」を強く持つことの重要性を理解するには、私たちが日々直面する可能性のある状況を考えてみるとわかります。他人に軽視される、侮辱されるという経験は、あなたも一度や二度は経験あると思います。しかし、「氣」を強く持っている人は、これらの状況においても自分の価値を見失わず、適切な方法で対応することができます。侮辱された時、沈黙は時に弱さと誤解されるかもしれません。だからこそ、適切な方法で立ち向かい、自分の尊厳を守る必要があります。受けた恩について考える時、「氣」を使ってそれに応えることは、単に感謝の意を表す以上の意味を持ちます。「氣」で応えるとは、恩を受けたことを深く理解し、それを倍にして返す精神を持つことを意味します。これは、相手に対する尊敬の表れでです。そして、あなたが人として成長する機会でもあります。恨みや侮辱に対しては、「忘れろ」という考えがしばしば推奨されます。しかし、これはあくまで平穏な状況においてのみ成り立つこと。自分や大切な人が何度も不当に攻撃されるような場合、適切に対応し、必要であれば「倍返し」で徹底的に立ち向かうことも、自己防衛の一形態として重要です。これは、相手に
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(46日目)怒りソース。

※ タイトルの意味は最後に分かります。さて、昨日はブログで「内面を磨く」ことの大切さを書きました。妻にそれを言ったら、『アンタこそ磨けよ』と一蹴されました。この怒りをどこにぶつければ良いのでしょう?教えて〜アルムのモミの木よ〜♪さて、本題。☆━━━━━━━━━━━━━━━━━━━☆青春それは君がみた光ぼくがみた希望青春それはふれあいの心幸せの青い雲せいう〜ん〜♪本題と言いながらフザけたスタートだと皆さん怒るのでちゃんと書きますよ!<今日は「怒り」について。>怒りそれは、 ・目的を達成できないとき ・思い通りにならないとき ・侮蔑、侮辱されたとき(Wikipediaより)特に注目したいのは「思い通りにならないとき」。例えば、家族に。例えば、友達に。例えば、仕事で。あらゆるシーンで、「イラッ💢」とするときは誰にでもある。なぜなら、それは原始的な感情だから。しかし、それをそのままオモテに出すと、『なんかヤバそーな人』と思われる。<怒りをあらわにする人達>家でも、仕事場でも、お店でも怒りをあらわにする人っている。『そんなに怒ってどーすんの?』とは思うけど、おそらくその人たちは幼少期からコントロールする術を身に付けてない。だから、方法(思考方法)を理解できてない。年食ってからでは時すでに遅し。横山は、やすし。怒りをコントロールできる人は1「刺激を受ける」2「脳に伝達」3「思考(制御)」4「行動・発言」という4つのプロセスを経る。しかし、怒りをそのまま出す人って1「刺激を受ける」2「脳に伝達」3「行動・発言」簡単3ステップなんだよな。この違いは大きいように思う。<怒りのコントロール>アンガ
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■侮辱罪をご存じですか?

あなたは、侮辱罪というものをご存じですか。侮辱罪とは、刑法231条で規定されている罪です。 (侮辱) 第二百三十一条 事実を摘示しなくても、公然と人を侮辱した者は、拘留又は科料に処する。 「公然」とは、他の人に広まる可能性があることを言います。 たとえば、職場で皆がいる前で侮辱された場合や、CCに多数の関係者を含めたメールで侮辱された場合です。個室で、1体1で侮辱された場合は、あてはまりません。 侮辱とは、言動や動作によって、相手を軽んじたり、はずかしめたりする場合で、「ばか」「あほ」「クズ」といった誹謗や、「デブ」「ハゲ」「チビ」などの身体的特徴を馬鹿にする発言などです。匿名だからといって、SNSで過激なコメントを書き込むことは危険です。 侮辱罪は、拘留又は科料に処する、とされています。 拘留は、1日以上、30日未満の期間、刑事施設に身柄を拘束されるというものです。「懲役」や「禁錮」と、「拘留」の違いのひとつは、執行猶予がないという点になります。科料は、1,000円以上1万円未満(つまり9,999円以下)の金銭を強制的に徴収する財産刑です。 しかし、前科がつくということが大きな点です。
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【誰にも私は潰せない】

 京都でボランティア(芸術展の場内警備)  した後、浜大津まで足を延ばし、一時間  あまりのつかの間の観光を楽しんできた。  ここ一年半ばかり、カウンセラーとして  立つべく、勉強やら何やらでつい出不精  になりがちだったし、楽しむことに目を  向ける余裕など全くなかったのであるが、  今日は、折角京都まで来たことでもあり、  こんな機会は滅多にないしと思い切った。  明日から、カウンセラーとしての宣伝や  その他で今日までとは違う新たな戦いが  始まることだし、いい気分転換になった。  路面を走る地下鉄も見られたし、大津港  からの琵琶湖の美しい眺めも九年ぶりに  堪能できた(元カノとの初デートで一度  来ている)。湖の駅で店舗限定の信楽焼  のぐい呑みも土産に買えた。同じものが  二つとない(手作りなのだから当たり前)  琵琶湖ブルーの正真正銘の限定品である。 ────────────────────  この限定ぐい呑みを買って帰途、電車の  中でずっと考えていたのだが、そもそも  人間一人一人が、言い方は悪いが、誰も  この世に二人と同じ人はいない存在では  ないか。失礼を承知で言い換えれば人は  皆限定品のようなものではないだろうか。  たかが、と言ってはこれもまた失礼だが、  こんなぐい呑みですら、限定品と聞くと、  私でさえ貴重な価値あるものに感じるし、  大事に使おうという気にもなる。それだ。  不思議なことに、物なら「一つしかない  から」「限定品だから」と大切に扱おう  とする我々人間が、甚だ失礼な言い方に  なるが、究極の限定品とも言うべき人間  の一人一人
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