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【自然学校】自然学校終わりの【もっと】…

兵庫県には、小学校5年生で4泊5日の学校行事があります。そこには、なんと外部から参加するリーダー(指導員・補助指導員)と呼ばれる大学生やその道のプロの人が関わることができる制度がります。 この制度のすごいところは、何よりも学級経営の大きなインパクトになることです。その影響力、破壊力は本当にすごいんです!! その想いを受け継いで、またリーダーを目指す人、先生を目指すきかっけになった人、大人になってからも忘れない思い出の存在。その存在が大きいからこそ、憧れ、頑張り、悔い、達成感いろんな感情が大きく生まれ、行動や発言につながっていく。リーダーや友達と4泊5日過ごす思い出もすごくいいんですが、それ以上にすごいのは【長期宿泊を通して、子ども達にとっては人生最大級の葛藤が起きること!!】にあると思っています。 ステキな出会は人生を変わる。ステキな気づきは価値観が変わる。今はリーダーとして18年ほど自然学校には携わっています。 社会教育として携わってきたのは25年ほど…もっともっとよくしていきたい。自然学校が終わり、ふと我に返る。今回の自然学校はどうだったのか…もっと…できた?もっと…子ども達の学びを増やせた??    そんな環境を整えることができた??もっと…リーダー間の連携がうまくできた??自分の想いばかりになってなかった??いろんな葛藤につつかれます。。。。でも、やっぱり、子ども達があれだけ全力で、笑顔でいれたことリーダー達が「また子ども達にも、みんなにも会いたい」と解散できたこと先生達とも「また来年もお願いします」と感謝されたことを考えたら今回の自然学校もよき自然学校ができたんかなと
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今日をもう一度やりなおせるとしたら?

先日、わたしの目にチラッと飛び込んできたフレーズです。「今日1日、もう1回できるとしたら何をするだろう?」ちょっと考えてみてください。わたしも考えてみました。ですが、やることは同じだな、と思います。ですが、何かをする前に少し時間をとって瞑想をするだろう、と思いました。なぜかというと、行為1つ1つに集中して、満ち足りた1日になるだろうからです。人によって「もう1回できるとしたら、もっと効率的に動く」とか「もっと人に親切にする」「美味しいものを食べる」「やらなくて良いことをしない」とかあると思います。大事なことは、それを今日から、意識してできるかどうか、ということです。そうやって毎日、「今日をもう1度できるとしたらどうするかな?」と考えてみると良いでしょう。少しずつ、毎日が豊かになってきます。注意点として、1日を振り返って後悔したり、自分を責めたりするのはNGです。それをするとまったく逆効果になりますので。まずは、今日の自分はよく頑張った、と褒めた上での振り返りです。ぜひ試してみてください^^琥珀流
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それは、遠くにある

落としてしまったボール思わず謝った。投げた人が悪いんじゃない。落とした人が悪いんじゃない。何かが起こる原因って、もっと、前からおきている。
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もっと頑張らないと、というブロックを外そう

今日は子供の運動会でした。コロナでなかな行事が行えなかったこともあり、子供は張り切っています。わたしもとても楽しみに見に行きました。リレーや団体演目が全て終わり、校長先生の話になりました。そのときに「ぜひ、子供たちに良くやったと褒めてあげてください」とお話がありました。よくやった、と褒めることは当たり前のように見えますが、実はできない人はできません。わたしもかつてはできませんでした。「もっとバトンを上手く渡さないと」「もっと走り方を修正しないと」「もっと先生の話をきいて集中しないと」という感じで「もっともっと」を子供に強要してしまっていたのです。どういうことかというと、不足感を植え付けてしまっていたということです。そのように育った子供はどんなに頑張ってももっと頑張らないとダメだ⇒頑張らない人間はダメだ⇒頑張らないわたしはダメな人間だという感じで、自分の存在まで否定しまうのです。そして、頑張っていないと罪悪感を感じたり、頑張らない人をみると無性に腹が立ったりします。頑張らないといけない、というブロックを外すには校長先生の話であったように「よくやった」と自分を褒めてあげると良いのです。ぜひ、ご自身に「今日1日よくやった」と褒めてから眠りについてみてくださいね^^琥珀流
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執着

捨てられないモノがある。拘る。何時もそのことが脳裏をかすめる。何故かというと・・・足りないと感じるから。もう、これ以上要らないと思えたことが無いから・・・何時でも、もっと欲しがる氣持ちがある。欲しいのに、我慢をさせられて、自ら我慢をすることを選ぶと、それは、執着に変わるのかもしれない。じぶんに許可を与えることができて、じぶんが欲するままに「それ」を与え続けると、「欲しい」とか、「足りない」とかいう感覚がいつの間にか消え始めるのかもしれない。そこで初めて、足るを知ることになるのかな。
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