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【シンギュラリティに対しての心配は不要】

日常的スピリチュアル、安田です。 人工知能が人間の知能を 上回る時代は 確実にやってきます。 シンギュラリティの時代になることで より本来の基準の時代になり より希望の時代になっていきます。 シンギュラリティに対しての 心配をしている人がいますが 今の私たちの心霊基準では 心配になるのですが 時代の恩恵によって 心霊基準も上がっていくので 人工知能が人間の知能を 上回ったとしても 心配する必要はないのです。 知能面では人工知能には 敵わなくなりますが 心霊面では人工知能に 負けることはありません。 なぜなら、人工知能には 心霊面がないからです。 実際、今でも 情報処理能力では 人工知能に負けています。 人の一億倍以上の 情報処理能力を 人工知能は持っているので 絶対に敵わないのです。 これからの時代は 心霊面を向上させる歩み 努力が主流になってきます。 人にしかできない努力を していくことで 人工知能と無駄に 競わなくなります。 絶対に敵わない部分で競っても 無駄に消耗するだけなので 人工知能には無い部分で 努力をしていけばいいのです。 心霊基準が上がる努力を していけばいいのですが 基本的な努力を 地道に続けることで 心霊基準が上がっていきます。 時代の恩恵によって 心霊基準が向上していきますが 私たちの努力の積み重ねも必要なのです。 いくら恩恵が大きくても その恩恵に合わせられる 基準の歩みが必要なのです。 基準を上げていくには 負荷をかける歩み 努力が必要なのですが 効率的なことばかりを 求めてしまうと 負荷がかけられなくなります。 「楽に、簡単に」という歩みは これから
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【時代性よりも不変性を意識する】

日常的スピリチュアル、安田です。 時代性というのは 今の瞬間的なことであり 時代というのは 常に変化していきます。 時代に合わせることは 必要なのですが 時代の隅々まで 把握することはできないので 感覚的に 合わせていくしかないのです。 全ての知識 情報を知ることは 絶対にできません。 私たちに与えられたことを 基準にして歩むしかないのです。 主体的に学ぶことは 必要なのですが 全てのことを 学ぶことはできないので 与えられたことを 基準にするしかないのです。 時代性は感覚で 合わせることができますが 不変性というのは 土台になる教えであり 時代が変化しても 通用する教えなのです。 時代の変化に 感覚的にでも 合わせていくには 不変性の土台が必要なのです。 不変性の土台 軸がなければ 時代の変化に 振り回されてしまい 常に何かに追われているような 感覚になってしまうのです。 伝統的な教えというのは 数百年、数千年経っても 残っています。 伝統的な教えは 不変的な面もありますが 過去の時代が 基準になっています。 今の時代 これからの時代の 不変性というのは 過去の事例を基準にした 教えではなく 本来あるべき姿 本来の基準 究極の理想が 不変性の軸になります。 伝統的な教えを 否定する必要はないのですが 教えを飛躍させるためには 新しい時代の発想が必要なのです。 時代というのは 常に変化していくので 基準にすることも 軸にすることもできません。 極端に言えば 昨日まで通用していたことが 今日から通用しなくなるので 時代性に合わせようとすると 常に振り回されてしまうのです。 柔軟さ
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【霊的な実力を身につける】

日常的スピリチュアル、安田です。 霊的な実力というのは 霊的に振り回されないで 影響を与えることができる 実力のことをいいます。 今の時代は 霊的指導力が 求められています。 現実的な影響に 行き詰まりを感じ 霊的な影響を 求めているのです。 指導というのは 導くことなので 影響が与えられる 実力が必要なのです。 どんな人でも コントロールされたり 義務、強制されることは 嫌うのですが 良い影響は 受けたいのです。 良い影響というのは 自分にとっての 良い影響なので 求める影響には 違いがあります。 影響を受けることで 転換することができ 悟ることができ 再出発ができるのです。 霊的な実力というのは 感じさせることができ 導くことができる 実力のことをいいます。 影響というのは 感じさせることであり いくら知識だけを与えても 何も感じなければ 何も悟れないのです。 霊的な実力といっても 霊的に何かが見える 聞こえる、感じる ということではありません。 霊的に鈍感でも 霊的な実力を 身につけることができ 強化させることができます。 霊的に振り回されるのであれば 霊的に鈍感な方がいいのです。 霊的に鈍感でも 霊力を強化させることができ 霊的指導はできます。 霊的な実力は 基本的な努力である 学ぶこと、実行すること 瞑想、運動を続けることで 身につけることができます。 時代が進むことで 心霊基準が上がり 今までの指導が 通用しなくなります。 今や知識面では大差がないので 多くのことを知っていることには 価値が感じられないのです。 知識、情報は 瞬時に調べることができるので 暗記する必
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【自己表現からの創造力発揮】

日常的スピリチュアル、安田です。 今は誰でも情報発信が できる時代であり 情報発信によって 自己表現ができます。 自己表現をすることで 創造力の発揮ができるのです。 創造力の発揮が 求められている時代は まず発信することが 必要なのです。 発信することで 自己表現ができ 創造力の発揮ができます。 自己表現というのは 知っていることを 自慢することではなく 悟っていることを 投入することをいいます。 今の時代に求められていることは 知っていることの発信ではなく 悟っていることの発信なのです。 知識、情報は無限に増え続けているので 現代人は知っていることが膨大なのです。 たとえ、学んでいなくても ありとあらゆる方面から 情報が入ってくるので 知らなくてもいいことまで 知ってしまうのです。 なので 知っていることよりも 悟っていることが 求められているのです。 そして、教育も 悟ったことを 教育していくことで 深い境地からの 教育ができるのです。 情報発信というのは 自己表現だけでなく 教育もしているのです。 今の時代の教育は 悟れるように導ける 教育が求められています。 知りたいことであれば いくらでも調べることができますが 悟れるように導ける教育が できる人は少ないのです。 結論的な教育ではなく 悟れる教育ができれば 本質的な教育ができます。 悟れる教育をするには 教え続けていくしかないのです。 情報発信を続けて 教え続けることで 悟れる教育を 悟ることができます。 影響というのは 悟った境地までしか 与えられないのです。 表面的なテクニック 小手先のテクニックでは 知らせること
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【心霊体験に憧れない】

日常的スピリチュアル、安田です。 スピリチュアルに 興味関心を持つことは 必要なのですが 心霊体験に 憧れる必要はないのです。 霊的に見える、聞こえる 感じるというのは 本来は当たり前のことであり 誰にでも備わっている 能力であったのです。 先駆けて霊的能力が 与えられている人には 使命があるのですが その使命を悟れていない 人ばかりなのです。 使命というのは より大きな目的のために 与えられているのです。 自分次元の意識では 使命を全うすることは できないのです。 いくら霊的能力が与えられていても 使命を悟れるかどうかは 別の問題なのです。 心霊体験は 現実離れした体験なので 憧れてしまうのですが 体験をしようとしても できないのです。 心霊体験をしている人は しようとして しているのではなく 結果として 体験をしているのです。 霊的に見える、聞こえる 感じるというのも 見えるのが当たり前 聞こえるのが当たり前 感じるのが当たり前という 境地なのです。 スピリチュアルを意識しても 霊的に鈍感な人もいます。 霊的に鈍感でも 霊的な意識ができれば 何となくでも 見えない境地が 分かるのです。 心霊体験があるか どうかというのは 大したことではありません。 いくら霊的能力があっても 何かが有利になるのではありません。 むしろ、使命を悟れないことが 仇になってしまうことがあります。 心霊体験がなくても 高い意識で、高い基準で 歩めることの方が 価値があるのです。 時代の恩恵によって 自然に霊的に敏感になったり 場合によっては、霊的能力が 開花することもあります。 ですが、心霊基準が低
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【信じたことに最善を尽くす】

日常的スピリチュアル、安田です。 私たちにできることは 自分が信じたことに 最善を尽くすことなのです。 絶対的な確信がなかったとしても 信じたことに最善を尽くすことで 投入する歩みができるのです。 確信を持たないと いけないとなると 何も始めることが できなくなります。 なぜなら どんなことでも やってみないと 分からないからです。 なので、信じたことに 最善を尽くせばいいのです。 信じるというと 曖昧であり 漠然としていますが 自分軸を基準にして 信じるということです。 今の時代は 自分軸を基準にすることで 迷うことなく歩むことができ 集中、投入する歩みができるのです。 自分軸は、基本的な努力である 学ぶこと、実行すること 瞑想、運動を続けることで 確立することができます。 努力を続けることでしか 自分軸の確立はできません。 努力を続けることで 心霊基準を上げることができ 高い意識の基準から 信じることができるのです。 信じられることには 最善を尽くすことができ 投入することができるのです。 私たちの意識の基準は 高くあるべきなのです。 意識を高くすることで 自分次元の意識を 超えることができ より大きな目的を目指す歩みが できるようになります。 最善を尽くし 投入することで 真空をつくることができ 真空は自然に埋まるのです。 現実的に 信じたことをやるしかないし 信じたことしかできないのです。 啓示や直感というのは 実感的に与えられるのです。 何かの声が聞こえたり 幻のように与えられることは ごく稀なことなのです。 私たちは、ごく稀なことを 期待してしまうのですが 稀なこと
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【霊性教育の本質】

日常的スピリチュアル、安田です。 霊性教育というのは 霊的に何かが見える 聞こえる、感じるようになる という教育ではありません。 霊力を身につける教育であり 強化させる教育であるのです。 なので、霊的に鈍感でも 霊性教育によって 霊力を強化させる ことができるのです。 霊性教育によって この世での歩みを極めることができ 心霊基準を上げることができ 成長欲求を満たすことができます。 そして、努力ができるようになる 続けられる教育でもあるので より霊力を強化させることができます。 霊性教育の本質を 見失ってしまうと 霊能力を身につけることに 走ってしまうのです。 霊性教育を極めて 霊力が強化されて 結果として 霊能力が身につくのはいいのですが 霊能力だけを身につけようとするのは 危険なのです。 なぜなら、心霊基準が低いと 霊的に振り回されてしまうからです。 今の時代に必要なのは 霊能力ではなく霊力なのです。 生まれつき霊能力を持っている人 後天的に霊能力を身につけた人がいますが 特別な使命があって 霊能力を身につけることが できたのですが 大抵の人は その使命を悟れないのです。 霊能力があるからといって 悟れるのではありません。 逆に霊的に鈍感でも 悟ることができるのです。 霊性教育によって 霊力を強化させることで 悟りの境地に至れるのです。 霊性教育というのは 現実的な教育であるのです。 基本的な努力である 学ぶこと、実行すること 瞑想、運動を続けて 極めていくことで 霊力を強化させることができ 霊性教育されるということです。 誰かが、霊性教育を してくれるのではなく 自分から主
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【運勢の本質を悟る】

日常的スピリチュアル、安田です。 運勢というと、奇跡的なこと 特別なことが起こるときに 運勢の良さを感じるのですが 起きる現象だけが 運勢の良し悪しではないのです。 運勢の本質は 導かれていることを感じ 必要なことが与えられていることを 感じることなのです。 日常の歩みができることは 当たり前ではないのです。 当たり前にできることが 運勢の良さでもあるのです。 そして、導かれていることを感じ 気づきや悟りを得ることも 運勢によるものなのです。 どんな環境であったとしても 必要なことが与えられています。 その必要なことというのは 自分で悟るしかないのですが 運勢によって悟ることができるのです。 運勢の本質を悟ることで 自分の運勢の良さを 感じることができるのです。 本来の基準から見たら 運勢が悪い人はいないのです。 全ての人に平等に 運勢の良さが与えられていて 必要なことが与えられています。 何が必要なことなのかは 自分次元の基準であれば 悟ることはできないのです。 教育の観点から見たら 教師もいれば 反面教師もいるのですが 教師も、反面教師も 必要なので与えられるのです。 どんなことでも 与えられていることと 解釈することで 運勢の良さが感じられます。 私たちは 都合が良いことだけを 願ってしまうのですが 都合が悪いことから 悟ることができるのです。 もし、全てのことが スムーズに導かれたとしたら それはそれで刺激が感じられないので 何の面白みもないのです。 今の時代は表面的なことだけで 判断をしてしまうと 本質が悟れないのです。 本質を悟れないと 環境、状況に振り回されてしま
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【霊的指導の土台】

日常的スピリチュアル、安田です。 霊的指導というのは 霊的に導くことであり 霊的に導くことで 本質的な歩みができるのです。 いつの時代でも 指導が求められているのですが 時代が変化することで 既存の指導が通用しなくなるのです。 同じような指導が 通用し続けられるのであれば マニュアル通りの指導が できるのですが 時代の変化によって 人の心理も変化するので 同じ指導では通用しなくなるのです。 指導をする人というのは 指導に手を抜いてはいけないのです。 いくら過去の時代の指導方法が 通用していたとしても 今の時代に通用するとは限らないのです。 指導の目的には 成長ができるように 導く目的がありますが 指導される人だけが 成長するのではなく 指導する人も共に 成長するということです。 誰も指導する人が 完全完璧とは思っていないし 共に成長することを 目指していくことで 発展的な指導が できるようになるのです。 指導する人も 完全完璧さの フリをしていたのでは 非常に疲れるのです。 指導というのは する方も、される方も 相乗効果が発揮されるのです。 これからの時代に 求められるのは 「霊的指導力」なのです。 というと より指導が難しく 感じてしまうのですが 霊的な導きの中で 指導をするということです。 表面的な説得のような指導には 限界があるのです。 霊的な導きの中での 指導というのは 霊的な協助によって 指導ができるということです。 この世の私たちは 霊的な協助によって 心霊を成長させることができ 心霊基準を上げることができます。 今までの指導で 成長ができなかったのであれば 霊的な
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【Z世代に合わせる】

日常的スピリチュアル、安田です。 「Z世代」というのは 1996年から2012年に 生まれた世代のことをいいます。 コンピューターが一般化され 有るのが当たり前になり 無ければ成り立たない 時代になった時期でもあります。 次世代というのは 前世代よりも優秀であり より悟っている世代なのです。 Z世代というのは 「悟り世代」よりも 悟っている世代なので より優秀なのです。 時代というのは その世代に合わせながら 発展していくので その主流になっている世代に 合わせていくことで 時代の波動に合わせることができます。 今の時代は Z世代の時代であるので Z世代の悟りの境地に 合わせていくことが必要なのです。 次世代から学ぶというよりは 悟りの境地に合わせることで 時代の恩恵を感じることができます。 「昔はこうだった」というのは 次世代には通用しないのです。 前世代が経験 体験したことは 学校の教科書になっていて 知識として学んでいるのです。 時代が進むことで 恩恵が大きくなり 心霊基準も上がっていきます。 より高い基準で 歩むようになるのが 次世代なのです。 ありとあらゆる分野の 基準が上がっているのは 次世代の心霊基準が 高いからなのです。 教育というのは 常に高い基準を 求めていくことなのです。 高い基準を求めていくには 次世代の悟りの境地を 求めていくしかないのです。 そして、前世代もできる限り 基準を上げていくことが必要なのです。 次世代が前世代を 越えていくのは 自然の摂理ではあるのですが 簡単に越えさせてはいけないのです。 できる限り高い壁になって 越えさせてあげることで
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【主体的に歩むことが模範になる】

日常的スピリチュアル、安田です。 模範的な歩みというのは 主体的に歩むことで 示すことができるのです。 主体的に歩むというのは 自分で決めて 決めた通りの歩みを 続けていくということです。 一見、当たり前のことなので 誰でもできているようなのですが 主体的に歩めている人は少ないのです。 私たちは 「自分で決める」ということが 苦手になっています。 なぜなら 常に決められてきて 決められた通りに 歩んできたからです。 努力というのは 意図的に決めないと できないのです。 「これをやる」と決めることで 努力ができるのです。 学ぶこと、実行すること 瞑想、運動は 決めなければできません。 これからの時代は 指示、命令 義務、強制が できなくなります。 自分で決めなければ 何もできなくなってしまうので 決める力を身につけることが 必要なのです。 模範というのは 自分の歩みを 主体的に歩むことで 示すことができるのです。 他の人よりも 目立とうとすることが 模範ではないのです。 自分の歩みに集中し 投入することが 模範になるのです。 なので 「模範を示さなければ・・・」と 力む必要はありません。 模範的に歩んでいる人は 基準高く歩んでいるのです。 基準高く歩んでいる人に ついていけないこともありますが 同じような基準で歩みたくなるのです。 基準高く歩むというのは 学ぶ基準、実行する基準 瞑想、運動の基準が 高いということです。 簡単に言えば 努力の基準が 高いということです。 歩みの基準というのは 習慣の力を身につけて 負荷をかける歩みを 続けていくことで 基準を上げることができます。
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【見えない境地の可能性】

日常的スピリチュアル、安田です。 見える境地には 制限があるのですが 見えない境地には 制限がありません。 制限が無いというのは 無限の可能性があるということです。 心霊基準が上がることで 見える境地の限界を 感じるようになり 見えない境地を 我知らず求めるようになります。 ただ見えない境地を 漠然と信じるのではなく 論理的に説明することができ 言語化することができれば 見えない境地を 理解することが できるようになります。 霊的な世界を 知ることができ 理解するには 感じている境地の 言語化が必要なのです。 霊的に鈍感でも 何かを感じています。 その感じていることを 言語化することで 感じている境地を基準にして 歩むことができます。 今の時代には 答えがありません。 「これだけをやればいい」という 単純な時代ではないのです。 答えが無いので 答えを見い出せる力が 必要なのです。 感じている境地から 答えを見い出していくことで 時代の波動に合わせることが できるようになります。 波動というのは 見えないのですが 感じることができます。 見えない境地を 感じるというのは 波動を感じることなのです。 時代の変化によって 波動も変化していくのですが 波動の変化は 感じている境地で 把握することができます。 漠然とでもいいので 波動を意識してみてください。 見えない境地は 意識をしていかないと 感じることができないのです。 見える境地は 意識をしなくても そのまま認識できるのですが 見えない境地には 意識が必要なのです。 見えない境地の 意識ができるようになれば 無限の可能性を 感じる
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【使命を優先させることで、全てが得られる】

日常的スピリチュアル、安田です。 使命を優先させるというのは より大きな目的を優先させることなので 全てが得られるのです。 全てが得られるというのは 私たちが願う次元ではないのです。 自分次元の願いというのは 小さな視野でしか願えないのですが より大きな目的を基準にした 願いというのは 大きな視野からの 願いになるのです。 使命を優先させることで 高い心霊基準からの 欲望、願望、貢献が得られるのです。 高い心霊基準の中に 全てが含まれているのです。 私たちの本当の欲望 願望、貢献欲求というのは 高い心霊が基準なのです。 自分次元の願いというのは 願わされているということです。 狭い視野からの願いは 本来の基準の願いではありません。 使命を優先させるというのは 本来の基準の願いを 優先させることなのです。 自分次元の願いよりも 使命を優先させることで 本来の基準で歩むことが できるようになるのです。 使命を優先させることは 自己犠牲ではありません。 自己犠牲をしているとなると 続けられなくなってしまうのです。 なぜなら、自己犠牲は 自分だけが犠牲になっていると 錯覚してしまうからです。 隣りの芝生が青く見えるように 隣りの人は楽をしているように 見えてしまうのです。 他の人、周りの人が 楽をしているかどうかは どうでもいいことなのですが 自分だけが犠牲になっているとなると 損得感情の動機になってしまうのです。 使命を優先させる歩みというのは 簡単ではないのです。 誰よりも努力をすることで 使命を優先する歩みができるのです。 他の人、周りの人の基準では 使命を優先させる歩みはできま
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【得るためではなく、成就するために歩む】

日常的スピリチュアル、安田です。 何かを得るためには 得るための原因が必要なのです。 得られたというのは 結果であるので その結果のためには 原因が必要なのです。 多くの人の心配は 得られないことを 心配するのですが 結果に対しての心配は 無意味な心配なのです。 なぜなら コントロールが できないからです。 コントロールができないことを 心配してしまうと 苦しくなってしまうのです。 得るために歩んでしまうと 心理的な限界を感じてしまうのです。 コントロールができないことと 現実的にできることは たかが知れているからです。 得るためではなく 成就するために歩むことで 自己責任の認識ができ 全うしようとする 覚悟ができるのです。 自己責任を 重荷に感じている人が 多いのですが 自己責任からは 逃れることはできません。 他の万物には 自己責任は無いのですが 自己責任は人間だけに 与えられた特権なのです。 この特権が重荷に感じてしまうのですが 重荷に感じても逃れることはできないのです。 今までの歴史は 自己責任を明確にすることが できなかったのです。 何となく曖昧にして 責任があるような 無いようなと どこまでが責任なのかが よく分からなかったのです。 時代の恩恵によって 自己責任があることが 明確になり 自己責任を全うする歩みが できるようになったのです。 自己責任といっても できることに最善を尽くせば いいだけのことなのです。 努力ができていれば 自己責任を全うしている ということです。 自己責任が重荷に感じるというのは 努力をしないで、何かを得たいという 原則から外れたことを 願
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【霊力強化を意識する】

日常的スピリチュアル、安田です。 霊力というのは 霊的に何かが見える 聞こえる、感じるという 境地ではなく 霊的に負けない 力のことをいいます。 霊的に負けないというのは 霊的に振り回されないということであり 霊的に振り回されないというのは 環境の影響を受けないということです。 日常の環境には 霊的世界の影響があります。 日常の環境を把握することで 霊的世界の把握ができるのです。 今は霊的な時代になっているので 霊的世界が良くも、悪くも ごく身近に感じられるのです。 なので 霊的に振り回されやすいし 協助されやすいのです。 極端になりやすいので 振り回されやすくなるのですが 振り回されない霊力が 身についていれば 今の時代の恩恵を 感じることができます。 時代の恩恵によって 心霊基準が上がり 霊能力が目覚めている人が 増えてきていますが 霊力が弱いと 霊的に振り回されやすくなるので 危険なのです。 何となく 霊能力がある人を 憧れる傾向がありますが 霊能力よりも 霊力の強化が 必要なのです。 霊力は霊的に鈍感でも 身につけることができ 強化させることができます。 霊的に振り回されるのであれば 霊的に鈍感なくらいが丁度いいのです。 霊力の強化は 基準が高くなる知識を 徹底的に学ぶのと 瞑想の習慣によって 霊力を強化させることができます。 とくに真新しいことではないのですが 霊力の強化はコツコツと 努力を積み重ねるしかないのです。 霊的に弱い 霊的に振り回されるというのは 霊力の弱さが原因なのです。 時代の恩恵によって 霊的世界の整理が 成されていますが 同時にこの世の私たちの 霊
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【今の自分の基準を悟る】

日常的スピリチュアル、安田です。 基準を上げていくには 今の自分の基準を悟ることが 必要なのです。 山登りをしているとしたら 頂上を目指していくのですが 現在地を把握しなければ 頂上まであとどのくらいなのかを 把握することができないのです。 ただ、現在地の把握というのは 苦しいのです。 なぜなら 目指していることとの ギャップが大きいことが 明確になってしまうからです。 山登りであれば あとどのくらいという 距離が明確になりますが 現実の私たちの距離は 明確にはなりません。 なので ギャップが大きければ 大きいほど 苦しくなるのです。 その苦しさに 居心地の悪さを 感じることで 努力をする 原動力になるのです。 今の基準を悟るといっても 高くないからといって 落ち込む必要はありません。 少しずつでも 成長ができていれば 何の問題もありません。 どんな人でも 成長には時間がかかるので 足りなさ、未熟さを 責める必要はないのです。 今までのことは 今さら後悔しても 嘆いても意味がないので 今から、これから どうするかなのです。 今の基準を悟っても 現実的には、今できることに 最善を尽くすことしかできません。 どんなに煽られても 成長には時間がかかります。 なので 現実的な努力を 積み重ねていくことしか できないのです。 基準を悟るといっても 深刻にならなくてもいいのです。 今できていること 今できていないことを ある程度 明確にすることが できていればいいのです。 悟りというのは 感じることであるので 何を感じているのかを
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