私は慢心していました。
私は慢心していました。自分は特別な人間だ。自分には他人にできない何かがある。と思っていました。少なからず、今でもそう思っているかもしれません。しかし、この私は慢心している、奢っている。という気持ちは、失敗するより「恥ずかしい」ことなので、自分で「慢心している」事をあらかじめ伝え謙虚な人格を装い、少し人格者と思われたいという欲望から、話を作っているかもしれません。さて、なぜ慢心していると自分で感じたのか?簡単に不幸経歴を書くと、大病、メンタル疾患、パワハラ、2度の失業、そして、昔から人付き合いが苦手でした。そのせいか、私は普通の人よりも劣っている。バカかもしれない。脳味噌が足りないのかもしれない・・・。と強く感じていました。これは極度の劣等感なのですが、近年の「ギフテッド」とか、苦労をした分、器が大きい人格者に見える。などといった、マイノリティを強く肯定するような記事を見るようになったからです。また大病を乗り越えた人を賞賛するようなテレビ番組の影響もあります。大病を克服し、医者を目指す。偉いね。というような他人からの声です。感動したというような声もありました。私はそんな前向きな目標は全くありませんでした。当然、感動の克服ストーリーはありません。気づいたら状況は変わり、時間が経つとまた「不幸な自分」を思い出し、ただ、卑屈になるだけ。そうなると、苦労マウントのようなものを取りたくなります。私は人生経験が豊富なんだ。苦労を乗り越えてきたんだ!特別なんだ!他人はバカにするけれど、耐えた末には、自分にとっての特別な何かを見つけられるかもしれない。そのように感じていました。だから耐えれた。し
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