私は慢心していました。

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コラム
私は慢心していました。

自分は特別な人間だ。

自分には他人にできない何かがある。


と思っていました。
少なからず、今でもそう思っているかもしれません。

しかし、
この私は慢心している、
奢っている。
という気持ちは、

失敗するより「恥ずかしい」ことなので、
自分で
「慢心している」事をあらかじめ伝え
謙虚な人格を装い、
少し人格者と思われたいという欲望から、
話を作っているかもしれません。

さて、なぜ慢心していると自分で感じたのか?

簡単に不幸経歴を書くと、
大病、メンタル疾患、パワハラ、2度の失業、

そして、昔から人付き合いが苦手でした。

そのせいか、

私は普通の人よりも劣っている。
バカかもしれない。
脳味噌が足りないのかもしれない・・・。

と強く感じていました。

これは極度の劣等感なのですが、
近年の
「ギフテッド」とか、
苦労をした分、器が大きい人格者に見える。
などといった、
マイノリティを強く肯定するような記事を見るようになったからです。

また大病を乗り越えた人を
賞賛するようなテレビ番組の影響もあります。
大病を克服し、医者を目指す。偉いね。というような他人からの声です。
感動したというような声もありました。


私はそんな前向きな目標は全くありませんでした。
当然、感動の克服ストーリーはありません。

気づいたら状況は変わり、

時間が経つとまた「不幸な自分」を思い出し、
ただ、
卑屈になるだけ。


そうなると、
苦労マウントのようなものを取りたくなります。


私は人生経験が豊富なんだ。
苦労を乗り越えてきたんだ!
特別なんだ!

他人はバカにするけれど、
耐えた末には、
自分にとっての特別な何かを見つけられるかもしれない。

そのように感じていました。

だから耐えれた。

しかし、
そのような特別なことはありませんでした。

もしくは
今、平凡な日々を送っている。
という事実が特別なことかもしれません。

特段、困っていません。

しかし、
卑屈になった時が凄く長く続きました。
それこそ、目に見えないものにもハマりました。
知り合いからぼったくりのターゲットにされたり、
パワハラにも遭いました。

劣等感と驕りは紙一重ではないだろうか?

と考えるようになりました。

強烈な劣等感。
そして、
馴染めないのは
自分は特別だからだ。

と思い込んでいたのかもしれません。

私は特別ではない。

ただ、人は社会的な生き物であり、
人との比較で生きている。
特別扱いされたい、

という心が誰にもでもあると言われています。

病気やうつや失業で亡くなる人や破産する人もいる中
私はそうなっていません。

それこそ、新興宗教にハマったり、する人もいるかもしれませんが、
それも無い。

特別なことがなかったことが
かなり幸運だったのではなかろうか・・。
と気づいたのです。

それにも関わらず、
メディアの一発逆転の感動ストーリーを見て
自分はこうなれない!!
と無意識のうちに感じていたのです。

(24時間テレビや、
歌舞伎役者の亡くなった奥さんなどの発信物を見ると
彼女らのようにはなれない自分に落ち込んでいました。)


さらには、
集団生活が苦手なぶん、
バカにされる、見下される事も多く、
卑屈になる一方です。

軽く見られるので
ハラスメントや詐欺にも遭いやすい。

ところがこの
捻くれ者思考

詐欺師やカルトの勧誘に乗らなかったのは、
捻くれ者思考
世の中を斜めから見てしまう卑屈な思考
みんなで仲良くが嫌い。

このような自分の「捻くれ者」思想が
詐欺やカルトから身を守ってくれていたのです。

・なんだこいつ、神様でも無いのにいいことばっか言いやがって、インフルエンサー気取りか?
・なんだ、親切ぶってバカにしてんのか?なんの見返りが欲しいのか?
・お前、自己啓発書の定型文を脳内にインストールしたのか?変だぞ?妄想か?

と私自身がそのような人たちに対して
心の中でマウントをとっていました。

ここでまた、
書いていて、「慢心」していましたね。

この慢心している時に

失敗したり、騙されたりするようです。

慢心しないように
常に心を見張らないといけません。

私は基本的には捻くれ者のネガティブです。
これをポジティブに変換するには

「今、ある」ものに感謝することが大事と言われていますが、
これも「宗教みたいでキモい」と感じてしまうので、
なかなかうまくいきません。
SNSでよく見る、世界に感謝、感謝感謝です!
というやつも、
反吐が出そうで、嘘でも書けません・・・。


ただ、一つ役に立った方法があります。

例えば、つい最近の話ですが、
知り合いにカルト勧誘されました。

自分はこんなに嫌な目に遭ってる
バカにされた、あいつ嫌い!
悩む時間ももったいない、時間を返せ!
と感じていました。

しかし、
嫌だと強烈に思うことで「入信」しなくてよかったな。
早い段階で気づけてよかったな。

そして、宗教に入っている人独特の、

親切だけど
私は悟ってる、あなたは凡人、
私偉いのよ・・・。
という謎なマウントにも「卑屈精神」のおかげで、
信じずに気づけました。

卑屈精神がなければ、
「言ってることは合ってるけど、
(何か変だけど)一般的には「いい人」なんだろうな。。。
 この人の振る舞いが一般的には「ウケ」が良いんだろうな・・。

と感じていたかもしれません。

そうなると騙されていました。


結果
よかったなぁ〜。
と感じることができました。

これは感謝したことになるのかな?
知らんけど。

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