スピリチュアル中毒

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コラム
スピリチュアル中毒という言葉を聞きました。

スピリチュアルにどハマりしている人。
スピハラなどというものもあるようです。

自己啓発などにどハマりしている人も同じ事が言えます。


精神世界にどハマりして、
霊的な体験(何かが見える、何かが聞こえる)
ことで、
自尊感情が歪んだ形で満たされるということだそうです。

・他人が体験していない高度なスピリチュアルな体験をしている
・妄想的な世界観にハマり、他人と世界観が異なり浮世離れする。

これは普段のコンプレックスや
心の弱さが関係しているそうです。
これをスピリチュアル体験で埋め合わせをしているのです。

よく、
苦労をした後は、霊的な体験をする、などと言う人もいるようですが、
苦労をしたことで

・この経験は意味があったんだ!
・自分は特別な人間なんだ!

と勘違いをしてしまうこともあります。

私は知り合いからカルトめいたセミナーに勧誘されましたが、
その知り合いも、苦労を乗り越えた後、
「あれから(霊が)見えるようになってね・・・」
などと、打ち明けられました。


苦労を通じて、
他人が見えないものが見えるようになり、
経験した苦労には意味があり
私は他人と比較して特別なんだ!

と思ってしまう危険があります。

誰しも、少なからず、
自分は特別なんだ。という思いがあると言われています。

私自身は病気、ハラスメントからの鬱。など体験しました。
当然、
病気になる人はなるし、
鬱も現代病のようなもので誰もなる可能性があるものに思えますが、


病気になって、さらに酷い目にあった
これを機にこんなチャンスが舞い込んだ。
人が見えないものが見えるようになった・・・。

などという話もよく聞きます。

しかし・・・・。

特に霊も何も見えないよ。
多分「苦難を乗り越えた」のだと思うけど、
特にこの体験を通じて困ってる人を救おうとか、
強く感じたりしなかったよ・・・。

と言う「オチ」があります。

今は普通に過ごしていて、
特段何も無いので、平和と言えば平和に過ごしています。
ただ、「ストーリー」的には面白くありません。
苦労を克服した後のサクセスストーリー。
感動物語は無いよ。
普通だよ。

という何とも読み応えの無い
体験談です。



苦労を乗り越えた後に、
少し霊的な体験をし、
自分を特別視してしまうと、

他人から見ると慢心を帯びた状態になるそうです。

仏教では、
瞑想修行などを通じて、
何か、「霊的な体験」をしたと感じても
「自分のものではない」
「仏ですら見えていない」

全ては「空」であるということを説いています。

これは霊的な体験(仏様が見える)ことで、
自分は仏様が見える特別な人間なんだ!!!
と慢心に陥らないためです。

慢心して、
自分自身を客観視できなくなる。

自分は特別な人間だ、
人類を救わなきゃ!
他人を助けなきゃ!

と「ありがた迷惑」を他人にしたり、
マウントを取ったりすることも
同様です。


こんな慢心に陥らないためには、
自然の中に行くことが有効と言われています。

自然の中に行けば、
「畏敬の念」を感じ、
自分はこんなにちっぽけな人間なんだ。
自然と比較したら自分は自然の中で生かされてるんだな。

という感情が少なからず出てきます。

インターネット上では
苦労をしたが、
そのおかげで、このような神秘体験をして、
今はこんなに幸せです!!

という情報で溢れています。

自分自身はそんな経験はありませんでした。
逆に無いので「劣等感」を感じたりもしました。

病気になり人を救いたいから看護婦になる、医療関係の仕事に就く。
という気持ちもありませんでした。

どちらかというと
「もう、思い出したくない。」
と感じることが多いです。

人は本当に辛いことがあった時は
自分の中で「この経験をなかったこと」にしようとするそうです。

小さい頃虐待を受けてその時の状況を聞かれたが
「それが、覚えてないんですよ〜」という人も少なからずいますよね。


大袈裟な成功体験でなくとも、
自然に行き、自分はちっぽけだなと感じることで心が休まります。

あまりにも多く言われていることで、
自己啓発めいて言いたく無いのですが、
ふとした瞬間に今あるものに感謝をする。

それこそ
今目の前にある、
自分が決めたことをこなす。

これが地に足のついた人生なのかなとも
感じています。

お読みいただきありがとうございました。

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