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一行日記『今日しかないこの日の空』2/365

『今日しかないこの日の空』 この言葉はおそらく、車の中で横になっていたときに見た空の景色だと思います。 車中生活の時は窓から本当によく空を見ました。 というか、目に入るものは空ばかりでした。 だから、朝の空、昼の空、夜の空をじっと眺める機会が多くて。 孤独だったけど、そのときに見る空って、またぐっと来るんですよね。 青空、夕焼け、星空。 働き詰めだったから、こう、じっくり空を見るって、子供の時以来で。 そうやって見ているうちに気がついたこと。 1日として同じ空はないってこと。 そうですよね。 今見ても、同じ空ってないのです。 春夏秋冬あればなおさら。 穏やかに晴れ渡る日もあれば激しい嵐もある。 楽しい空や悲しい空。 人と同じようにたくさんの表情を持っている。 今日しかないこの日の空。 だからこそ惜しむこともできる。 この瞬間を大切に。皆様、今日も素敵な一日を。最後までお読みいただきありがとうございました。よろしければご意見ご感想などメッセージいただけると励みになります。https://coconala.com/users/4303576ひかる
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【失敗談】なまけ癖に負けた話

今回は私のなまけ癖について。最後に教訓も伝えたいと思います。まずは小学生のころ。この頃はやはり宿題ですね…特に夏休みの宿題はまともに終えた記憶がありません。いつも8月31日の夜は母に怒られ、終わるはずのない残りの宿題を泣きながらしていました。隣の部屋で「世界まる見え!テレビ特捜部」を観てる兄弟の笑い声を聞きながら。次に中学。陸上部に入ったのですが、ひたすらサボりましたね…。どうやら私は、自分自身と戦う系の努力が苦手みたいです。両親にも何度も怒られましたが、部活行くふりしてサボる→ばれて怒られるこれをひたすら繰り返した3年間でした。いやなら辞めろよって話ですが(笑)あの頃は変なプライドと、辞めたら怒られるっていう不安もありましてね~。そして高校。コツコツ努力が苦手な私は中3の冬から鬼のように勉強し、見事進学校に合格しました。そして1学期が終わったあと、進学校にありがちな夏課外。夏休みがつぶれるのです。もちろんサボりましたね…自分で学校に電話し、サボり友達と毎日のようにカラオケ行きました。あの時ほどEXILEを上手に歌える自信はないです。先生からも呼び出され、適当に理由を言って難を逃れたつもりでしたが、今思えばばれてたでしょうね~。最後に大学…の前に大学入試。私は2010年の春に大学入試を受けました。2010年…そう、バンクーバーオリンピックの年です。入試に向けて頑張らなきゃいけない2月、ちょうど学校が終わったころにオリンピックの試合があり、勉強そっちのけで熱中しました。しかも昔の月9ドラマ「ロングバケーション」の再放送も行われていて、それにもドはまり…。おまけに試験前日は同じ大学
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♪ブログ歴13年余りを振り返って 5/21 (SAT)

♪筆者がブログをスタートさせたのは、2009年3月。記憶 & 記録が残っているので、間違いないでしょう。 当時すでに時代の最先端的な配信手段でしたから、かなり以上の後発だったこと、これまた間違いありません too 。それまでブログ自体に興味も最小限の知識もなかったのですが、 「〇〇(筆者)も始めてみれば? 世界が広がるよ」 今も筆者が師匠(※茶化し抜き)と位置づけている女友だちと、びっ◆りド◆キーでハンバーグプレートを食べていたときのことでした。 ちなみに彼女は当時19歳。 誓って一般大衆が勘繰るような関係ではありませんし、筆者にそのような魅力も財力もありませんでした & 今も不変です。 まして当時は自事業に窮した果ての、債務処理と鋭意挌闘中だった身分。 ハンバーグプレートですら、分不相応の贅沢だったかと? ★ 2008年12月 とあるテーマパークでのショット 筆者短髪(笑)そんな彼女とようやく数年振りに、近々飯を食う予定だけが決定?十数年来この距離感と時間感覚が変わりません。 「男女や年齢差を問わず、友情(らしきもの)は存在する」 筆者のこの考え方の裏打ちとして、個人的には十分です。 尊敬に値する友だちは人生の宝です。 彼女からはこの十数年間、数多くのインスパイアをもらいっぱなし。 「俺は彼女になにか1つだけでも、お返しできているだろうか?」 ずっと引っかかっていたりします …… これ、真面目な話。♪Ame◆loで開始当初、各記事の一番下の通し番号は3ケタでした。 「999まで続けられたら奇跡だな」 ほぼ毎日更新したとしても、単純計算で3年近く先のお話。 2009年春の時点で
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#02 - SAS日本上陸、業務アプリ改善に利用

1980年代前半、日本にパッケージソフトのSAS(Statistical Analysis System  : 統計解析のパッケージソフト)が上陸しました。おそらく、日本最初のユーザーだったであろう某企業で私はシステム開発の仕事を担当していました。SASは日本語のマニュアルを作成している段階だったらしく、まだ手書きの内容で仮に製本されたものしか無い状態でした。しかも中身は2本線で修正されている箇所が何箇所もある様な感じでした。その後、何度か校正して正式な日本語マニュアルとして出版に至ったようです。そんな中で私としてとてもいい経験をさせてもらった話ですが、少しメインフレーム上の単語などが登場しますのでご了承ください。新しいことに挑戦して、結果、成功したんだなということが伝わればと思います。お客様からの誘い直接関わっていないため横目で見ていただけで、SASに関する仕事として依頼はありませんでした。「この新しいパッケージソフトとはどんなことができるのだろう」程度に思っていただけでした。ところが、お客様から今回SASというパッケージを導入することになったが、一緒に学習してくれないかという話が当時の会社に入ったのです。しかし、当時の諸先輩は将来自分たちのスキルとして役に立つか立たないかわからないパッケージであったため、なかなか参加表明をしませんでした。どちらかといえば、自分たちは忙しいので、若手に勉強させればいいんじゃないという感じでした。それを横目で見ていて、「今、このパッケージのスキルを身につければ自分がパイオニアになれるし、もしかしたら将来も大いに役に立つかも」というちょっと不純で
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#01-他社作成プログラムのクレンジング案件

まだ20代半ばの頃、独立系SI会社のアプリケーションSEとして仕事をし始めている時の経験です。まだまだ勉強中の身だったので、早く実績を作りたいとも思っていた時期でしたね。一通りプログラミングも身についていたので、お客様から信頼されるSEに1日でも早くなりたいと思っていた頃でした。当時のお客様は、とてもコスト意識が高く、依頼すべき案件が発生すると常に何社かと比較検討されていました。この時も、我々の会社と他社に見積もり依頼を実施し、コスト比較した結果、小規模の開発案件を他の会社に依頼されました。もちろん、我々はサービス料金の内訳の説明として、保守段階の重要性を意識して工数をかけた対応を実施する様なことを記述していましたが、やはり提案金額の絶対額が低い方に軍配が上がってしまったのです。このような現象は今でも多く発生しているのではないでしょうか? お客様としては、準備できる予算枠の中で発注できれば、余計な社内プロセスを考えなくていいというのも理由の1つとしてあるかもしれません。さらに、購買部門からすれば、少しでも安いところに発注できたという実績が重要なのかもしれません。いずれにしても、コスト比較で負けた案件だったのです。我々からすれば、開発して稼働した後にかかってくるコストのことも考えて欲しいと思ってはいるのですが、それは先のことだからその時に検討すればいいという対応も多々ある様です。そんなことは、きちんと作られていれば発生すらしないかもしれないという淡い期待があるのかもしれません。結果的には、なんらかの問題が発生して多くのコストを必要とすることになるのかもしれませんが、会計年度をまた
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♪ 7年ひと昔・節目の記憶日 - 12月14日 -

♪今編はとりわけ個人的な回顧録です。 遡ること7年前 = 2013年師走のこの時期、私は転居先を物色していました。 理由を一言で綴るとすれば、自身を取り巻く生活環境を変えたかったから。 当時は某財閥系の、分譲マンションの通勤管理人の仕事を頂戴していました。 通常は1人1棟担当のところ、所属していた企業から 「異なる場所に建つ2棟を兼任してもらえないか?」 との打診が。 イレギュラーな体験は基本ウエルカムの私。他の人とは違う仕事環境が面白そうだと、前向きに準備を進めていました。 同時期はまだ、文章を書いて報酬を頂戴し始めて3~4年目。 前年(=2012)に某公募の入選拙作が、ハードカバーの新刊に掲載され、 「もしかすれば、徐々にこちらにシフトチェンジできるかも?」 ビギナーズ・ラックと自覚しつつも、過信が頭を擡げ始めていたのも事実。♪空き時間を活用しての物件探しは、ネット情報に頼らず、自身の足で現地を歩き、町の雰囲気を確かめるスタイル。 持ち場となる2棟への通勤路を考慮から、幾つか候補に挙げた最寄り駅のひとつが、この 『桜と古墳の街』 でした。 自身の出身校(高校)が建ち、それなりの土地勘がある反面、北大阪屈指の高級住宅街。 「俺の収入では暮らせない分不相応な街だから、縁は無いだろうな…」 これが正直なところでした。 物件探しというよりも、高校生時代から30数年振りの再訪を楽しむ感覚で、足の赴くままに歩き回れば、自ずと腹が減ります。 そこで見つけたのが、日本初(=国内第1号店)の青いコンビニ。 おにぎり買って頬張りながら付近を見渡せば、見慣れぬ洒落たスーパーマーケットが。
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