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一行日記『今日しかないこの日の空』002

『今日しかないこの日の空』 この言葉はおそらく、車の中で横になっていたときに見た空の景色だと思います。 車中生活の時は窓から本当によく空を見ました。 というか、目に入るものは空ばかりでした。 だから、朝の空、昼の空、夜の空をじっと眺める機会が多くて。 孤独だったけど、そのときに見る空って、またぐっと来るんですよね。 青空、夕焼け、星空。 働き詰めだったから、こう、じっくり空を見るって、子供の時以来で。 そうやって見ているうちに気がついたこと。 1日として同じ空はないってこと。 そうですよね。 今見ても、同じ空ってないのです。 春夏秋冬あればなおさら。 穏やかに晴れ渡る日もあれば激しい嵐もある。 楽しい空や悲しい空。 人と同じようにたくさんの表情を持っている。 今日しかないこの日の空。 だからこそ惜しむこともできる。 この瞬間を大切に。皆様、今日も素敵な一日を。最後までお読みいただきありがとうございました。よろしければご意見ご感想などメッセージいただけると励みになります。https://coconala.com/users/4303576ひかる
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#01-他社作成プログラムのクレンジング案件

まだ20代半ばの頃、独立系SI会社のアプリケーションSEとして仕事をし始めている時の経験です。まだまだ勉強中の身だったので、早く実績を作りたいとも思っていた時期でしたね。一通りプログラミングも身についていたので、お客様から信頼されるSEに1日でも早くなりたいと思っていた頃でした。当時のお客様は、とてもコスト意識が高く、依頼すべき案件が発生すると常に何社かと比較検討されていました。この時も、我々の会社と他社に見積もり依頼を実施し、コスト比較した結果、小規模の開発案件を他の会社に依頼されました。もちろん、我々はサービス料金の内訳の説明として、保守段階の重要性を意識して工数をかけた対応を実施する様なことを記述していましたが、やはり提案金額の絶対額が低い方に軍配が上がってしまったのです。このような現象は今でも多く発生しているのではないでしょうか? お客様としては、準備できる予算枠の中で発注できれば、余計な社内プロセスを考えなくていいというのも理由の1つとしてあるかもしれません。さらに、購買部門からすれば、少しでも安いところに発注できたという実績が重要なのかもしれません。いずれにしても、コスト比較で負けた案件だったのです。我々からすれば、開発して稼働した後にかかってくるコストのことも考えて欲しいと思ってはいるのですが、それは先のことだからその時に検討すればいいという対応も多々ある様です。そんなことは、きちんと作られていれば発生すらしないかもしれないという淡い期待があるのかもしれません。結果的には、なんらかの問題が発生して多くのコストを必要とすることになるのかもしれませんが、会計年度をまた
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Yahooショッピングにおけるクイズの活用法

 いつもお世話になっております。 私は千葉県印西市に在住する、齊藤祐作と申します。 突然ですが、皆さんはYahooショッピングなどの、ネットショッピングの運営・管理をしたことがありますか?  実は私は、株式会社S(2番目の企業)に在籍していた時に、Yahooショッピングで空気清浄機と、マスクの販売をした経験があります。  私が株式会社Sに在籍していたのは、2021年3月から2023年7月までの2年半に過ぎませんでしたが、当時はコロナによる緊急事態宣言の発出と、解除が何度も繰り返されていました。  それによる空気清浄機や、マスクの需要拡大を当て込んだ株式会社Sは、一儲けを狙ってこれらの販売に手を出したのですが、これらは全くと言って良いほど売れていませんでした。  それで社長は、Yahooショッピングと、楽天市場への出店を指示したのですが、株式会社Sは従業員20人程度の小規模な企業で、尚かつ60代以上のベテランの多い企業であったため、ネットショッピングを運営した経験のある人が全くいませんでした。  20歳代や、30歳代の従業員は他にも何人かいたのですが、その多くはベトナムや、カンボジアといった外国籍の社員であった(小学生レベルの日本語の読み書きしかできなかった)ため、ネットショッピングの運営はほとんど不可能でした。  それで当時37歳の私が、Yahooショッピングの運営(山のような在庫の処理)をすることとなったのです。  一方の楽天市場は、別のベテラン社員が運営することとなりました。  肝心の成果はどうだったのか? そんなこんなで、Yahooショッピングと、楽天市場の運営・管理が始
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回顧録について

最近こまめに回顧録を更新しています。ありがたいことに、あるお客様からブログ見てますとのお声があり、そのときの気持ちの持ち方などご質問をいただきましたので、綴っています。 お恥ずかしく、参考になるなど思っていませんが、反面教師としてお読みいただけたら幸いです。私は今現在は家の中で生活しています。食事も一部を除き、野菜や果物、肉や魚、小麦など、配慮は欠かせませんが、問題なく食せるようになりました。 十分な睡眠、食欲も旺盛です。 電話相談もさせていただいています。 こうした生活ができるようになったのも当時の車中生活での、十分な解毒の成果だと思っています。 ただ、安全面でのリスクが高いので、おすすめはしません。 専門医と十分なご相談が必要になります。 重症化する前に、早期に勇気をもって休むことを、声を大にしておすすめします。 私のような孤独な危険な経験をして欲しくありません。まだ少し続きますが、お付き合い願えたらと思います。 私を支えてくださる皆様に感謝して… 今日も皆様にとって素敵な1日でありますように。 最後までお読みいただきありがとうございました。 よろしければご意見ご感想などメッセージいただけると励みになります。 https://coconala.com/users/4303576 ひかる
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#02 - SAS日本上陸、業務アプリ改善に利用

1980年代前半、日本にパッケージソフトのSAS(Statistical Analysis System  : 統計解析のパッケージソフト)が上陸しました。おそらく、日本最初のユーザーだったであろう某企業で私はシステム開発の仕事を担当していました。SASは日本語のマニュアルを作成している段階だったらしく、まだ手書きの内容で仮に製本されたものしか無い状態でした。しかも中身は2本線で修正されている箇所が何箇所もある様な感じでした。その後、何度か校正して正式な日本語マニュアルとして出版に至ったようです。そんな中で私としてとてもいい経験をさせてもらった話ですが、少しメインフレーム上の単語などが登場しますのでご了承ください。新しいことに挑戦して、結果、成功したんだなということが伝わればと思います。お客様からの誘い直接関わっていないため横目で見ていただけで、SASに関する仕事として依頼はありませんでした。「この新しいパッケージソフトとはどんなことができるのだろう」程度に思っていただけでした。ところが、お客様から今回SASというパッケージを導入することになったが、一緒に学習してくれないかという話が当時の会社に入ったのです。しかし、当時の諸先輩は将来自分たちのスキルとして役に立つか立たないかわからないパッケージであったため、なかなか参加表明をしませんでした。どちらかといえば、自分たちは忙しいので、若手に勉強させればいいんじゃないという感じでした。それを横目で見ていて、「今、このパッケージのスキルを身につければ自分がパイオニアになれるし、もしかしたら将来も大いに役に立つかも」というちょっと不純で
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私が新人歓迎会で見せたかくし芸の内容

 毎年4月は、企業や官公庁に多くの新人が入ってくる季節でもあります。   事業所によっては、新人歓迎会をやる所もあると思われますが、皆さんは新人歓迎会で、どんなことをしたのでしょうか? 私は大学を卒業して、株式会社Hに入社した24歳の時(2009年)に1度、新人歓迎会でかくし芸を披露したことがあります。 株式会社Hの本社は東京都にありますが、工場および開発部は千葉県の佐倉市にあります。 当時、佐倉市内の事業所には200人強の社員が在籍していました。 私が入社した、2009年は新人が全部で18人いました。 株式会社Hの新人歓迎会はバーベキュー大会を兼ねていて、コロナ前は毎年、5月の最後の金曜日に行われていました。 私が入社した年にやった新人の出し物は、新人が1人もしくは数人で、何かの特技を披露するかくし芸大会でした。 私はそのかくし芸大会の、トリを飾ることになりました。 私が見せたかくし芸の内容 私がやったのは、『東大王』(TBS)の「交互に答えろ! サバイバルラリー」や、『呼び出し先生タナカ』(フジテレビ)の「喧嘩サバイバルマッチ」と同じような多答クイズ対決です。 多答クイズ(いわゆる「山手線ゲーム」など)は、あるお題の答えを順番に出すものです。 この時のお題は「千葉県にある市」で、当時は全部で36市ありました(その後、大網白里町が単独で市制施行して大網白里市となったため、2025年現在は37市)。 他にも、①から③のようなお題を用意していましたが、結局選択されませんでした。 ①:政治・経済「戦後の日本の歴代内閣総理大臣」(当時は麻生内閣) ②:スポーツ「アメリカ・メジャーリー
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池袋が「アニメの街」になる前のこと 他

 先日(2024年5月12日)、NHKの『ドキュメント72時間』で、東池袋の「駿河屋」が取り上げられました。 私は『ドキュメント72時間』を、あまり観る方ではありません。 だが、この時ばかりは違いました。 その理由は「駿河屋」池袋買取センターのある場所が、私の在学していた東京電子専門学校のすぐそばだったからです。 私が東京電子専門学校に在学していたのは、2003年4月から2005年3月までの2年間でしたが、当時の池袋は「アニメの街」とは、まるっきり違うものでした。 現在、「駿河屋」池袋買取センターが入るテナントには、古本屋が入っていて、私は学校帰りに、定期的に足を運んでいました。 その古本屋が閉店した後、「駿河屋」が入って現在に至っているのです。 私が『ドキュメント72時間』を見て感じたのは、アニメのグッズ等を売り買いする人があまりにも多かったことです。 「駿河屋」のホームページによると、池袋買取センターでは毎朝10時から夜の20時まで買取を行っているのですが、そこの買取所には絶えず、アニメのグッズ等を売りに来る客の姿がありました。 そこに古本屋があった当時とは、比べ物にならないほどの賑わいです。 私の学生時代に入っていた古本屋(光芳書店)。このテナントが「駿河屋」池袋買取センターに置き換わることとなった。            ↓ また、先日私は弟の付き添いで『幕張メッセ どきどきフリーマーケット 2024』に行きましたが、会場を見渡してみると、書籍を出品している人はほとんど存在しませんでした。 一方、アニメのグッズや、トレカ(トレーディングカード)や、コミック等を出品してい
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【失敗談】なまけ癖に負けた話

今回は私のなまけ癖について。最後に教訓も伝えたいと思います。まずは小学生のころ。この頃はやはり宿題ですね…特に夏休みの宿題はまともに終えた記憶がありません。いつも8月31日の夜は母に怒られ、終わるはずのない残りの宿題を泣きながらしていました。隣の部屋で「世界まる見え!テレビ特捜部」を観てる兄弟の笑い声を聞きながら。次に中学。陸上部に入ったのですが、ひたすらサボりましたね…。どうやら私は、自分自身と戦う系の努力が苦手みたいです。両親にも何度も怒られましたが、部活行くふりしてサボる→ばれて怒られるこれをひたすら繰り返した3年間でした。いやなら辞めろよって話ですが(笑)あの頃は変なプライドと、辞めたら怒られるっていう不安もありましてね~。そして高校。コツコツ努力が苦手な私は中3の冬から鬼のように勉強し、見事進学校に合格しました。そして1学期が終わったあと、進学校にありがちな夏課外。夏休みがつぶれるのです。もちろんサボりましたね…自分で学校に電話し、サボり友達と毎日のようにカラオケ行きました。あの時ほどEXILEを上手に歌える自信はないです。先生からも呼び出され、適当に理由を言って難を逃れたつもりでしたが、今思えばばれてたでしょうね~。最後に大学…の前に大学入試。私は2010年の春に大学入試を受けました。2010年…そう、バンクーバーオリンピックの年です。入試に向けて頑張らなきゃいけない2月、ちょうど学校が終わったころにオリンピックの試合があり、勉強そっちのけで熱中しました。しかも昔の月9ドラマ「ロングバケーション」の再放送も行われていて、それにもドはまり…。おまけに試験前日は同じ大学
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「千葉鑑定団」から消えゆく書籍コーナー

 齊藤祐作です。 皆さん、いつもお世話になっております。 突然ですが、皆さんは「千葉鑑定団」というものをご存じでしょうか? 「千葉鑑定団」とは? 「千葉鑑定団」は文字通り、千葉県北部を本拠地とするリサイクルショップのチェーン店です。 千葉県では、酒々井町や、八千代市や、千葉市稲毛区などに店舗を構えています。 私が株式会社Hに在籍していた2010年の時点では、全部で7~8店しかありませんでしたが、令和に入ってからは成田芝山店や、八街店などがオープンしたことで、2025年現在ではそれが10数店にまで増えています。 私は2009年に、新卒で株式会社Hに入社してから、定期的に「千葉鑑定団」に足を運んでいました。 特に、酒々井店は印西市の自宅と、佐倉市にある株式会社Hの中間地点(通勤経路の途中)にあることから、私は仕事が終わった後、よくそこに足を運んでいました。 八千代店も少し遠回りすれば行ける場所(京成勝田台駅の近く)にあることから、1~2カ月の周期で定期的に足を運んでいました。 私の目当ては、主に書籍でしたが、「千葉鑑定団」に行くと珍しい書籍や、昔話題になった書籍がたくさんありました。 そこで購入した書籍を読み終わった後で、Amazon.co.jpに当該書籍のレビューを投稿したことも、数えきれないほどあります。 縮小が止まらない書籍のスペース だが、書籍(以下、コミックを除く)の売り上げは、年々減少を続けていました。 「千葉鑑定団」に持ち込まれる書籍の量も、大幅に減少していました。 店員に訊くと、私のように活字の書籍を好んで購入したり、不要になった参考書を持ち込んだりする客は、令和の
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私が発達障害者でなくなった日

 いつもお世話になっております。 私は千葉県印西市に在住する、社会保険労務士の齊藤祐作と申します。 私事になりますが、6月6日は私が法的に、発達障害者でなくなった日でもあります。 私は大学4年生だった、2008年に発達障害(アスペルガー障害)の診断を受けて、精神障害者手帳を取得していましたが、それから8年後の2016年6月6日付で、住んでいる千葉県から精神障害者手帳の返還命令を受けました。 こちらが実際に、千葉県から受けた通知です(注:鈴木栄治は森田健作知事{当時}の本名。議会だより等は「千葉県知事 森田健作」と表記されていたが、公文書だけは「千葉県知事 鈴木栄治」となっている)。 図1:私が実際に受けた精神障害者手帳の返還命令の通知 この通知を受けた印西市も、当時の板倉市長の名前で、私に書面を送ってきました。 図2:印西市が私に送ってきた書面 精神障害者手帳は、原則として2年ごとに更新(等級の再判定)をすることになっていますが、精神障害の等級が軽くなって、最終的に非該当にまで至るのは珍しいことだと言います。 これを受けて、私は6月15日(千葉県民の日)に印西市役所で、障害者手帳返還の届出をしました。 こちらが実際に提出した、障害者手帳返還届です。 図3:実際に提出した障害者手帳返還届 後で印西市の障害福祉課に問い合わせたところ、2016年に命令という形で精神障害者手帳を返還したのは、私ひとりだけでした。 そこに至るまでの経緯は、拙書の『発達障害者の才能をつぶすな!』(幻冬舎ルネッサンス新書刊)にもはっきり書いてあります。 障害者手帳を取得してまで就職するしかなかった理由 ここ
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