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【身勝手な善意は他人の迷惑】

午前中時計に、ZOOMで傾聴ボランティア1件。 相手の方が大人の人と話したいという主旨だったので、普通にたわいもない雑談として1時間話させていただき、少しこちらが喋り過ぎたかというのが反省点。「僕の悪い癖 by杉下右京」 午後は、阪神VS広島戦を時折チェックしながら雑用など。 序盤は押され気味で負けを覚悟したものの、佐藤選手の逆転満塁ホームランで気分爽快!!(このホームランも虫の知らせ🐛があったのだ) ろくでもない日常の中で、タイガースの勝利が元気の源。今日は、久しぶりに傾聴ボランティアができた。 今日の依頼者の方のように、コロナ禍で、この連休にも誰とも会えず、コミュニケーションに飢えている人は多い。特定の何かに悩んでいるのではなく、人と繋がりたいという欲求を満たしたくてならないのだ。 実は、こうした依頼に応じることで、私自身が誰かの役に立っていることを実感できて救われている一面があるし、自分でそれを自覚してもいる。ただ、私の場合は、自分が過去にしてきた幾多のつらい経験を他の人にはさせたくないという思いが原動力になっているから違うと思うが、「自分が救われたいという気持ちから人の役に立ちたいと思う」ことは、メサイアコンプレックスといって、抑圧された強い劣等感から、行き詰った自分に活路を見い出すために行なう、不安定で自己中心的であることが多いという。 困ったことに、「人の役に立ちたい」という気持ちが強過ぎて親切の押し売りをしていたり、理想ばかり高くて目の前の現実に目が行き届かなかったりする。世界平和だの社会正義だのと御大層なことを言う割には、すぐそばにいる救済を必要とする人の存在を
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普通であることの勇気

自己犠牲を払ってまで誰かを助けようと、役に立とうとする人がいます。こういった「誰かのために役に立たなければいけない」という救世主の妄想をしてしまう人のことを、メサイアコンプレックスというわけですが、こういうタイプの人は人間関係でもうまくいかないことがたくさん出てきます。「私が助けてあげる、守ってあげる、救ってあげる」というのは、無意識のうちに相手を自分よりも一段下に見ているわけなんですね。そうすると、その相手と縦の関係になり、人間関係が悪化していきます。このメサイアコンプレックスというのは、小さいころに「自分は不幸だ」っていう感情を無意識下に抑圧しています。そして、自分は不幸であるという現実を直視することができず、その反動で「自分は幸せなんだ」っていう強迫的とも思える思い込みにつながっていきます。そういった思い込みによって、人を過剰に助けようとして、特別な存在であろうとしていくわけです。こういったメサイアコンプレックスの人の処方箋として、一つ提案していことは「普通であることも素晴らしい」ということを知るということです。誰かの役にたつ自分や、誰かに褒められるような自分でなくても十分自分は素晴らしいということを知っておくということです。自分の優越性を誰かに誇示する必要などなく「自分は素晴らしい」と心から思えた時、過剰なまでの人助けをする自分から抜け出すことができていきます。今回も動画で詳しくお伝えしています。
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