私と神様
私の神様はどうやら日光山輪王寺さんの神様らしい。らしい、というのは名乗りもしないし、ただ話しかけてくるだけだからだ。感覚としてはご近所に住んでるよく話しかけてくるおじさんといった感じ、神様に対しておじさんというのはなんだか、という感じだが。この神様、ラジオの周波数のようにチャンネルが合ったら声が聞こえる、合わなかったら聞こえないというようにその時々で声が聞こえたり、聞こえなかったりする。好き勝手に喋る時もあれば、問いかけに応えてくれる時もある。声が聞こえ始めたのは最近で、何故だか不調が続き(この不調は後に猫を構わなかったことによる念だということが判明した)、ふと神頼みでもしようかと財布にしまっていた輪王寺さんのお守りを首に下げたとこからふと声が聞こえてきた。「財布などという俗物的なものに入れよってからに!!」開口一番のセリフがこれ。だってぇ、、財布に入れてもいいって輪王寺さんは言ってたというか、書いてたぞ、、?でもうちの神様はそれがどうやら嫌だったらしい。ささっと外したり着けたりできるのがいいなぁと思い、ネックレスではなく百均のホイッスルに付いてたカンに猫の遊び道具だったズボンの調整紐で首に下げたらそれもお怒り!「こんなありがたみのかけらもないようなもの!神への冒涜も良いところだ!」とね。冒涜も何も手軽に身につけられる家の物がそれしかなかっただけだ。家から輪王寺さんが遠いこともあり、なかなか顔を出せないのもお怒りの原因だ。「ワシは毎日見守っとるというのにお礼参りの一つもしないとはなんたること!せめて2年に一回は顔を見せんかい!」とのことで、今年はお花見シーズンに輪王寺さんに行か
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