言語にできない苦しさを思い出しました
桜が綺麗です。ハラハラと風に乗る花びらを見ていると時間が経つのを忘れます。この平和なひととき、心も穏やかで、50代も悪くないと思うのです。悪くないというより若い頃は苦しかったです。何より、自分が嫌いでした。自分のことが嫌いなので、誰か好きな人がいても、『なんでこの人、私が好きなの?』という絶望的な思考が根底にあったわけです。そして、気持ちを言語化できない。私は何を考えていて、何をしたいんだろう?話す価値があることを持っているのか?かなり苦しいのですが、外からは全くわからないのです。そもそも、言語化できないのは『無い』と見做されますが、本人の中には『ある』のです。その後、仕事で散々文章を書く機会があり、ましになりました。書けるとこんなに楽!と、30代の私は少し安心しました。ですから子どもには、小学生の時に『作文塾』に通わせました。思春期がきたときに、私みたいに苦しい思いをして欲しくないという親心です。しかし、子どもは子ども、親は親。子どもは、また別に悩んだのだと思います。さて、何が言いたいかというと、・言葉にすること・対話によって、自分の思考癖、思考回路から少し違うところを使うのは、楽(ラク)に生きるのに役にたつ可能性があります。試してみる価値、ありますよ!
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