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「疑う自分」を、もう疑わない

1. 疑いという名の「曇り」何かを決断しようとするたび、ふと足が止まる。「本当にこれでいいのか?」「自分には無理ではないか?」自分を疑うことは、一見すると誠実で慎重な態度に見えます。しかし、度を超えた疑いは、自分の眼鏡をわざと指で汚して「前が見えない」と嘆いている状態に近いのです。眼鏡が曇れば曇るほど、私たちは「正解」が見えなくなり、さらに不安になってレンズをこすります。けれど、疑いという脂ぎった指でこすればこするほど、視界はさらに白く濁っていく。これが、疑いが疑いを深める無限ループの正体です。2. メタ認知は「眼鏡をかけ直す」ことこのループから抜け出すために必要なのが「メタ認知」ですが、これは決して難しいことではありません。メタ認知とは、いわば「あ、今自分の眼鏡が曇っているな」と気づくことそのものです。疑っている最中: 「道がわからない、どうしよう(視界の濁りにパニックになる)」メタ認知している時: 「今、自分は『道がわからない』という不安で眼鏡を曇らせているな(曇りという現象を客観視する)」「自分はダメだ」と思い込むのではなく、「自分は今、自分をダメだという疑いのレンズで見ている」と一歩引いて眺めてみる。視界そのものになるのではなく、視界の状態をチェックする。このわずかな隙間が、あなたを縛る鎖を緩めてくれます。3. 正解は「見える」ものではなく「作る」ものメタ認知が苦手な人ほど、曇った眼鏡のままで「完璧に澄み渡った景色(正解)」が向こうから現れるのを待ってしまいます。しかし、どれだけ待っても、疑いのレンズ越しに正解が見えることはありません。大切なのは、眼鏡が曇ったままでも、
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自分を疑うことは最強の護身術

こんばんは。今日は天気が良くてめちゃくちゃ焼けました。腕が赤い #やけど 日焼け止め塗らないとだめですね。今日は自分を疑うことについて考えたいと思います。これは気を付けた方がいいと言葉ではわかってはいても、なぜか自分は大丈夫だと、どこから湧いてきたかわからない変な自信を持つことってありませんか? #私はめちゃくちゃあった   自分なんて鬱なんかになるわけないと思っていたし、自分が正しいと思って疑いもしませんでした。以下に因果関係を書いてみます #適当で見にくいと思います疑おうとしない→自分が失敗するのが怖い→失敗する自分を許すことが出来ない→★これまで積み重ねたことも否定しかねない疑わずに失敗したことはあるが、ほかの事のせいにしたり、失敗したことを仕方ないとしている→それを積み重ねた数が多ければ多いほど、これまでの失敗を自責と考え反省するのは難しい→どんどん自分を許すということの難易度が高くなる。言い換えればプライドになります。ちっぽけなプライドを持っている期間が長く、そのプライドのよって歪んだ認知をした回数が多ければ多いほど、自分を許すことができなくなっていきます。自分を疑い、自分の中に問題点を見出し、解決する作業を小さいころから行えると、自分を疑うという作業は問題なく身に付けることが出来ると思います。小さいころから親に、勉強は出来て当たり前、出来なかったら叱られる、そういった教育をみっちりされた場合、しっかり問題点を見極められて取り組むことが出来ていたら良いが、出来ないことを人のせいにしたり、出来ていない人が周りに居たら馬鹿にしたり、認知が歪んで育ってしまう可能性があります
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