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いざ、初詣!想いが天に届く「祈り」と「合掌」の繋がり

私たちが日頃意識している「祈り」 「祈り」とは何だろうかと考えてみる。 考えた時に何が思い浮かぶだろうか。 「祈り」とは平仮名にしてみると、「い」と「のり」に分けられる。 「い」とは、神聖なもの、または命を表す 「のり」とは、告げること。 「祈り」とは、自分の尊い命を生かさせて頂いているという意からなるものです。 そして「祈り」からなる「合掌」 「合掌」は相容れないものが一つになることが合掌と言います。 合掌・祈りとは、命の宣言なのです。 お祈りするときに人は当たり前のように手を合わせているかもしれませんが、手を合わせること、合掌することにはこんな意味がありました。 ただ手を合わせるよりも、手を合わせることの意味などを知っているとまたお祈りもより叶うような気持ちがしてくるのではないでしょうか。 ただ手を合わせていても心の中ではピンとこない思いが立ち込めてきませんか? しかし手を合わせることの意味を知り、そんな思いの中で手を合わせて祈ることで自分の心からの祈りも天に届いていくような感覚がしてくると思います。 自分の心の中で思うことを上手に言葉に出来れば良いのですがなかなか言葉に表現するのは難しいかもしれません。 ですが、自分の中で、ただ感じることならできるのではないでしょうか。 少しずつで構いません。 お祈りする際には合掌にはこんな意味があって・・・・と意識してみることから始めてみて頂けたらと思います。 本当に届けたい思いが自分の心の中に溢れた時。自然と流れる涙があるでしょう。 その思いは必ずと言いたいほどに届けたい相手に届きます。 純粋に見返りを求めずに、相手のことを想う心が何
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素晴らしい 朝日を享受致しましょう

天気のいい朝は必ず起床後すぐに窓を開放して、朝の空気、朝日を浴び。天からの恵みに感謝しましょう。
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合掌について(一説)

合掌・仏教では、右手は仏、左手は、衆生を表し、仏と衆生が一つになるという意味(一説)陰陽道では、右は、陽(男・光・火・天など)左は、陰(女・影・水・地など)を表し、陽の右手は、送り手(気や意志などを送る手)陰の左手は、受け手(気や意志などを受ける手)で、携帯電話の意味又は、心を一つにするという意味(一説)仏教にしろ、陰陽道にしろ、合掌は、心を合わすという意味になる。合掌をする人を良く見かけるが、合掌には危険な面もある。神社は、良いモノから悪いモノ様々なモノを祀り、霊的なレベルも様々である。仏様もいろんな意味で祀られる。水子供養、道切など様々である。気軽に手を合わすと、いろんなモノ(悪いモノ含む)がついてくる可能性がある。特に死体は怖い。動物が亡くなっていて可哀そうだと手を合わすと憑いてくる場合がある。憑いてくるだけならいいが、悪くすると命を落とすこともある。だから人に合掌をすることを気軽に進めてはいけない。危険性があることもしっかりと教えなければいけない。合掌は、日本の文化ではない。日本の文化は、お辞儀の文化である。合掌ではなく、お辞儀の作法を教えるのが良いと思います。神社、仏様の前を通る時は、十五度の角度でお辞儀をして、黙祷(前を失礼します。と言う(一例))神前、仏前にて祈る時は、四十度の角度でお辞儀をして、黙祷(感謝の言葉を述べ、願事がある場合は、丸投げではなく、助力を願う。(一例))食事をする時は、頂きますと言ってから十五度の角度でお辞儀をする。        ご馳走様と言ってから十五度の角度でお辞儀をする。死体を見たら、四十度の角度でお辞儀し、黙祷する。(心の中で、自分
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手を合わせる。頭を下げる。知って得するこの素晴らしさ

神社やお寺に参拝するときにに何気なくする作法、手を合わせ、頭を下げる。だれでも知っている作法なのであまり意識したことは無いかもしれません。ただ、この作法も意識をすると、作法だからする、というのではなく意味のあるものとして意識してできるようになります。お寺ではこれを「合掌低頭(がっしょうていとう)」と言います。合掌とは、対立のない平等と調和を意味します。つまり、浄、不浄、好き嫌いなどの対立を超えた仏の教えです。わたしの解釈を加えると、手を合わせること、これは身体のエネルギーを循環させ、1つに合わせる、統合の意味があります。更に加え胸の前に手を合わせることで、心も穏やかになります。低頭とは、頭を低く垂れてあらゆるものへ敬意を払う謙虚な心の現れです。真理の中に生かされている自己を見つけ出すこと、というのが仏教の教えです。合掌、そして、低頭をするということは、調和し、感謝し、統合し、自己を見出す、というものすごいことをさりげなく同時にやっているのです。合掌低頭を意識して参拝すると、意識が変わってきます。もちろん、エネルギーも変わります。日常でも手を合わせて「いただきます」「ごちそうさま」という行為、頭を下げて「ありがとう」「こんにちは」という行為をそれぞれ意識してみるようにしてみましょう。これだけで日々のエネルギーは激変してくるでしょう。ぜひ試してみてくださいね。琥珀流
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柳家小三治

ひとつの時代が終わった。正統派がいなくなってしまうのが残念。志ん朝が亡くなったとき以来の衝撃。見に来ているお客さんが、小三治のまくらを聞きに来ているのに、まくらなしで芝浜を演じた落語をテレビで見たときは、鳥肌が立った。ライブで見れなくて残念、というか悔しい。
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