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【前嶋拳人】依頼主が私を忘れてしまう時こそが最高の瞬間

お気に入りの靴を履いているとき、私たちはその靴の存在を忘れています。歩き心地が完璧であればあるほど、意識は目的地や景色に向かい、足元の道具のことは意識から消えてしまいます。実は、私が長年向き合ってきたシステム開発という仕事も、この靴の感覚にとても似ているのです。大手企業で巨大な仕組みを作っていた頃から、フリーランスとして活動する今に至るまで、私がひそかに目指している究極のゴールは、お客様に私の存在をいつの間にか忘れさせてしまうことです。少し変な話に聞こえるかもしれません。サービスを提供している側としては、名前を覚えてもらい、何度も思い出してほしいと思うのが普通です。しかし、本当に優れた仕組みというのは、空気のように自然で、そこにあるのが当たり前な状態を指します。ボタンを押せば望み通りの結果が返ってくる。画面を開けば迷わず次に進める。こうした当たり前を維持するためには、見えない部分で無数の小さな歯車が、一分の狂いもなく噛み合っていなければなりません。私はかつて、銀行の裏側で動くような、一瞬の停止も許されない巨大な機械のような仕組みを担当していました。そこでは、何が起きても止まらないための備えが、何層にもわたって緻密に張り巡らされていました。今の活動でも、その頃に学んだ見えない安心を形にする姿勢を大切にしています。例えば、丁寧な説明書を作ることや、後の人が誰が見ても理解できるような整理整頓を心がけること。これらはすべて、将来お客様が困ったときに、わざわざ私に連絡しなくても自力で解決できるようにするための優しい仕掛けです。納期を守り、誠実に仕事をする。これは、お客様との間に不安という
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🥄20年間料理を続けてわかった、“料理を続ける人”の思考法

 料理が面倒で仕方なかった20代の私正直に言うと、20代の頃の私は料理が面倒で仕方なかった。仕事が終わって帰宅すれば夜10時過ぎ。冷蔵庫を開けても、そこにあるのは使いかけの野菜と卵。「今日はもういいか」と、ついカップラーメンで済ませる日も多かった。でも、そんな自分にどこか罪悪感があった。“人の命を救う”仕事をしているのに、“自分と家族の健康を守る”ことを後回しにしていたからだ。それでも少しずつ、料理をする時間を増やしていった。それは「家族のため」でもあり、「自分がちゃんと生きている」と感じたかったからかもしれない。 家族のために続けた日々と、途中で感じた限界結婚して子どもができると、料理は毎日の“義務”になった。朝ごはん、弁当、夕食。気づけば一日中キッチンに立っている。一番つらかったのは、「何を作るか考える時間」だった。冷蔵庫を開けて5分も立ち尽くす。家族の好み、栄養バランス、見た目、コスト…。すべてを考えようとするほど、料理が苦しくなった。「毎日違う料理を作らなきゃダメだ」「手を抜いたら父親失格だ」そんな思い込みが、いつの間にか自分を縛っていた。でもある日、ふと気づいた。“料理を続けること”と“完璧にこなすこと”は、まったく別物だということに。「決めてしまう」ことで救われた瞬間私は思い切って“決める”ことにした。金曜日はカレーの日。器は主菜1・副菜2で十分。煮物は電子レンジで時短。朝食は作り置き。週に一度は外食か市販品でリセット。すると不思議なことに、気持ちが軽くなった。「今日は何を作ろう」と悩む時間がなくなり、家族も「今夜はカレーだね」と笑顔で言うようになった。“決める”こ
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