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星々も闇さえも包む光

廉清生織のブログの部屋へようこそ全宇宙に放たれた愛は・・必ずどこかで芽を出しまたアナタのもとへ還ってきますよそれはまるで星の光が遠い未来に届くようにあなたの花びらはあらゆる存在に語りかけます「ここにいるよ」「あなたは大切な存在だよ」と今回はポエムをお届けしますね私がわたしの味方になる~それが光のはじまりだから~誰かに認められなくても誰かに愛されなくていてもわたしは私をあきらめない朝 目が覚めて息をして今日もちゃんと ここにいるそれだけで本当は 素晴らしいことなのにね足りないところばかり探してしまう日もあるけれど本当はずっと私がわたしを 泣きながら待っていたんだね「気づいて」「わたしを見て」「お願い 大丈夫だよって言って」だから 今そっと 心に手を当てるどんな自分もありのままこの手で優しく抱きしめる愛されることを誰かに ゆだねなくてもいいの私がわたしの 味方になるそれが 光のはじまり私がわたしを 愛するそれが光の はじまり
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求められることに応えていたら、自分がわからなくなった

誰かに求められたことを達成するのは、気持ちがいいです。苦労した分だけ達成感があるし、難しいことであれば称賛や評価もついてくる。でも、そのあとに、何故かわからないけれど自分の中に空洞ができることがあります。「それで、私は次に何をすればよろしいでしょうか?」当たり前のように、また誰かの求めていることを自ら伺いにいく。しかも、お伺いをされる方も、する方も、そのやり取りに何の疑いも持たずに会話を続ける。会社でも、家族でも、組織の中では、求められることに応える人の方が「ちゃんとしている」と見なされやすい。期待に応え、役割を果たし、必要とされる。それ自体は悪いことではありません。でも、その枠の中で評価されることに慣れすぎると、与えられた範囲の中で動いているだけなのに、それを自由だと思い込んでしまうことがあります。そうやって年月を重ね、求められることに慣れきってしまうと、いざ「何をしてもいい」と言われた時に、自分が何を求めているのか分からなくなるのです。他人とはあれほど会話してきたのに、自分とはほとんど会話してこなかったから。今思えばそれは、塀の中で与えられた自由を自由そのものだと思っていたようなものだったのかもしれません。私が「塀の中の奴隷みたいだ」と感じたのは、それに気が付いた時でした。気付きを受け取れるタイミングは、人それぞれにあるのだと思います。
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あれから1カ月

自分との約束を無事果たし、彼への連絡は1カ月せず迎えた3月17日(火)Xデー。わたしにとって再び彼に連絡することができる解禁日。仕事を終えた帰宅途中の18時過ぎ、緊張しながら「おつかれさま」とだけメッセージした。来るはずはないと思いつつも、どこかで淡い期待をするも当然返信はない。軽く落胆はしたが予想通りで想定内。今のわたしは1カ月前のわたしとは違う。あれから占い師さんのお言葉を噛みしめ、様々な情報から男性心理を学習し、理解に努めた。心が動揺したり、不安定になることもあるが今はただ静かに待つときだと自分に言い聞かせる。「おつかれさま」だけでは、私の真意が伝わらないと思い2日後に、再びメッセージした。(負担だと思って)1カ月メッセージするのを必死に我慢した。もういろいろ言ったり、責めてるようにと感じさせるメッセージしないように努力するよ、と。私の希望は、また彼から求められることを望んでいるがわたしのメッセージをどう受け止め、どのような選択をするかは彼次第。わたしは彼の決断に委ねるのみ。
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