求められることに応えていたら、自分がわからなくなった

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コラム
誰かに求められたことを達成するのは、気持ちがいいです。
苦労した分だけ達成感があるし、難しいことであれば
称賛や評価もついてくる。

でも、そのあとに、何故かわからないけれど
自分の中に空洞ができることがあります。

「それで、私は次に何をすればよろしいでしょうか?」

当たり前のように、また
誰かの求めていることを自ら伺いにいく。

しかも、お伺いをされる方も、する方も、
そのやり取りに何の疑いも持たずに会話を続ける。

会社でも、家族でも、組織の中では、
求められることに応える人の方が
「ちゃんとしている」と見なされやすい。
期待に応え、役割を果たし、必要とされる。
それ自体は悪いことではありません。

でも、その枠の中で評価されることに慣れすぎると、
与えられた範囲の中で動いているだけなのに、
それを自由だと思い込んでしまうことがあります。

そうやって年月を重ね、求められることに慣れきってしまうと、
いざ「何をしてもいい」と言われた時に、
自分が何を求めているのか分からなくなるのです。

他人とはあれほど会話してきたのに、
自分とはほとんど会話してこなかったから。

今思えばそれは、
塀の中で与えられた自由を
自由そのものだと思っていたようなものだったのかもしれません。

私が「塀の中の奴隷みたいだ」と感じたのは、
それに気が付いた時でした。

気付きを受け取れるタイミングは、
人それぞれにあるのだと思います。
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