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vol.86 [開運]幸運を呼ぶ激レアなむし

みなさま、こんにちは春になってきて暖かくなってきていることもありご依頼者さまの中には神社参拝やパワースポット巡りの機会を増やしている方々が多くみられます特に4月は大きな吉日や吉日が2日間連続になっているなどとても運気まわりが良い月なります神社参拝やパワースポット巡りをこの吉日に合わせて行うことは通常よりも2倍もの幸運をつかみ取ることができるアクションになりますそんな中で鑑定ご依頼時にはご依頼者さまのお悩みを霊視した結果や引き寄せの法則を活用した願望実現のためのお話をさせていただく中にご依頼者さまたちから神社さま参拝時の作法や質問や疑問・・・各パワースポットに行った時の過ごし方などなど運気をたくさん掴み取るための方法をたくさんご質問いただきます神社さまの参拝作法やパワースポットでの過ごし方は通常の方々よりも10倍ものエネルギーをいただくポイントをお伝えしておりますつまり吉日を抑えて神社さまやパワースポットに言って2倍もの幸運が掴めますがさらに参拝方法や過ごし方を抑えていただくと10倍もの幸運となります幸運は足し算ではありません掛け算で巡りが良くなる性質がありますので通常よりも20倍もの幸運が加速していただくことができることになりますねもちろん私、月光蝶も吉日や御縁日には神社やパワースポットに行って作法や過ごし方をとても大切にしてエネルギーを整えたりいただいてきたりします先日、吉日に参拝してきた神社さまではとても珍しいハートマークを持ったカメムシ「幸運を呼ぶカメムシ」と言われているエサキモンキツノカメムシと出会いました背中のハートマークをしっかり見せてくれる格好で拝殿に佇んでいまし
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参拝は恩師の家を訪ねるつもりで

本日の納品は1名様。陰陽五行の開運ポイントのお客さまでした。これからの益々のご開運をお祈りしております。お客様から「神社ってしきたりとかいろいろありそう・・・」とよく心配の声があがるのですが、「ルールはあってないようなものですから大丈夫ですよ」と説明することが多いです。神道は「信仰」であり「宗教」ではありません。信仰=人の心から生まれる「思い」宗教=人の「思い」を組織的に共有したルールであると私は考えています。なので、お参りの仕方も時代や地域によって都合の良いように作られて受け継がれているに過ぎないし、絶対に正しいルールはないと考えています。もちろん、神職を養成する機関では西日本と東日本で「正しい神道の作法」を教えていますが、東西の養成機関では異なるものもあります。たとえば袴の紐を、西日本では前に垂らすように教えています。 一方の東日本では帯に潜り込ませるように教えています。 両方ともきちんとしたやり方で、「これが正しい作法だ」と教えているからです。神田神社(神田明神)神主 岸川雅範様もしも神様が決めていたとすれば、全ての作法は統一されているはずですよね。地域によって違うということは、やはり人の都合で決められているということに他ならないでしょう。つまり、絶対的に正しさはなく、逆にいうとすべてが正しいということになります。大切なのは「思い=神様を敬う心」であり、おじぎや柏手などの作法は二の次。実のところ、「気持ち」さえしっかりしていれば、本当は作法は必要ないかもしれません。しかし私の場合はマナーがあることで気持ちも引き締まるので、最低限のことは守るようにしています。参拝の作法で心
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氣=質

氣=質 作法、武術で言えば型。 大切であり、ある意味無用なもの。 例えばテーブルマナーや、席などのマナー(上座、下座など)も同様で、郷に入っては郷に従え、そういう価値観でしか判断されない場もありますので、不要とは思いません。 ですが、作法、型、マナーなどは、どうしても中身を置いてけぼりにしてしまう傾向があります。 全てにおいて大切なことは、型、作法、マナーの裏側です。つまり、想いです。どう思っているかです。思うことは氣であるので、即ち氣です。 マナーを例にするとわかりやすいですが、マナーができているからといって、相手や場に対して思っていることが無礼であれば、それは無意識に表に現れます。作法だけ良くても、嫌な感じになるのです。決して良い空間にはなりません。逆に、マナーがそれほど上手にできなくても、相手や場に対する敬愛、大切にしようという(自分本意ではない)想いがあるならば、無意識にその心は表現され、それはとても心地よい空間となります。 氣功の型も同じです。型ができる、覚えている、というのは、ただその世界の入り口が開いただけであり、型が語るその裏の本質に気づきを重ね、想いを重ねなければ、本当の力も価値も生みませんし、何の意味もないのです。 思うことは氣。氣を動かしているのは無意識です。その人、物、事をどう思っているかが無意識に表現されるところに、質が生まれます。思うは氣。氣は思うこと。つまり、質なのです。
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噛みしめる。 よく噛んで食べる。とは(一説)

 噛みしめるの意味は、拝み示すであり、御噛む(拝む)は、神の尊い恵み(尊い自然の恵)・人が生きるために犠牲となる犠牲となる動植物の尊い命に頭を下げて感謝の意を表す。よく噛むことにより尊い神(尊い自然)・犠牲となる尊い動植物の命に感謝の意を示す。  よく噛んで食べるとは、吉く噛んで食べるであり、吉く(よく)とは、 嬉しいこと、有難いこと、貴重なこと、素晴らしいことなど吉兆を表す。 噛むごとに人は、尊い神(尊い自然)・尊い動植物の命を犠牲にして生きていることを実感し、動植物の命が体に溶け込み、血となり肉となる事に対して有難み・喜び・素晴らしさ・奇跡を感じ、吉く(よく)噛み、体と心に浸み込ませる。(一説)
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頂きます。ご馳走様。の意味(一説)

 頂きますとは、頂き、頂上を表す言葉で、目線より上。つまり、目上の存在を示す言葉である。目上の存在とは、神や尊い命のことであり、頂きますの意味は、尊い神の恵み(尊い自然の恵)・人が生きるために犠牲となる動植物の尊い命に感謝し、有難く頂戴いたします。という意味である。(一説)  ご馳走様とは、馳走は、走り回る・奔走するのことを表す。昔の台所は、土間になっていて、地面の上を奔走し、料理を用意していたので、馳走・走り回る(忙しく動く)様・人であり、ご馳走様の意味は、料理を作ってくれた人々・加工食品を作ってくれた人々・給食や食事を用意してくれた人々などに対して、料理や加工食品・食事・給食を用意して戴いて有難うございます。尊い神の恵み(尊い自然の恵)・人が生きるために犠牲となる動植物の尊い命を美味しく(心温かく)戴く事が出来ました。感謝申し上げます。という意味である。(一説)
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合掌について(一説)

合掌・仏教では、右手は仏、左手は、衆生を表し、仏と衆生が一つになるという意味(一説)陰陽道では、右は、陽(男・光・火・天など)左は、陰(女・影・水・地など)を表し、陽の右手は、送り手(気や意志などを送る手)陰の左手は、受け手(気や意志などを受ける手)で、携帯電話の意味又は、心を一つにするという意味(一説)仏教にしろ、陰陽道にしろ、合掌は、心を合わすという意味になる。合掌をする人を良く見かけるが、合掌には危険な面もある。神社は、良いモノから悪いモノ様々なモノを祀り、霊的なレベルも様々である。仏様もいろんな意味で祀られる。水子供養、道切など様々である。気軽に手を合わすと、いろんなモノ(悪いモノ含む)がついてくる可能性がある。特に死体は怖い。動物が亡くなっていて可哀そうだと手を合わすと憑いてくる場合がある。憑いてくるだけならいいが、悪くすると命を落とすこともある。だから人に合掌をすることを気軽に進めてはいけない。危険性があることもしっかりと教えなければいけない。合掌は、日本の文化ではない。日本の文化は、お辞儀の文化である。合掌ではなく、お辞儀の作法を教えるのが良いと思います。神社、仏様の前を通る時は、十五度の角度でお辞儀をして、黙祷(前を失礼します。と言う(一例))神前、仏前にて祈る時は、四十度の角度でお辞儀をして、黙祷(感謝の言葉を述べ、願事がある場合は、丸投げではなく、助力を願う。(一例))食事をする時は、頂きますと言ってから十五度の角度でお辞儀をする。        ご馳走様と言ってから十五度の角度でお辞儀をする。死体を見たら、四十度の角度でお辞儀し、黙祷する。(心の中で、自分
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神前参拝作法について(一説)

神前参拝は、基本的に二礼二拍手一拝にて行う。 意味は、先ず、二礼、二という数字の意味、此れは、 火と水、陰と陽、表と裏を表し、表裏一体で神と成るという 考えからきていて、二回、礼をすることに神との繋がりを強化又は、 人間の意識を神に近づけるという印(しるし)、まじないである。 スマホに例えると、電源スイッチを押してON状態にすること。 次に、二拍手、 拍手は、清めの意味や始まりや終わりを示す意味などがある。二拍手の場合は、天の柱、地の柱を表し、天地の柱を立てることにより、神に思いを届ける、伝えることが出来るようになる印、まじないである。スマホに例えると、電話番号を入力し掛けること。最後に、一拝、一は、始まりと終わりを表す数字、昔の日本には、0という数字はなく、一が最初の数字でした。拝は、最近流行った土下座です。今、テレビやマスコミのいう土下座の解釈は、間違っているとおもわれ、本来の土下座は、深揖と言われる作法で、45度の角度で頭を下げます。座って行う時は、地面についた手の肘を軽く曲げた状態。地面に頭をつけてはいけない。何故、頭を地面につけてはいけないのか、地面に頭をつけてお辞儀をするのは、拝といい、これは、神や先祖の御霊に行う作法で、人に行う作法ではありません。この拝を人にさせる行為は、自分は神であると驕り高ぶる卑しい行為であり、また、人に行うのは、あなたは神様ですと遜り小ばかにする行為である。よって、人に対して、拝を行ったり、強要したりするのは、人でなしの行為あり、人で在りたい場合は、絶対に人に対して使ってはいけません。テレビやマスコミにももう少し、神様や先祖の御霊を敬う心を
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祈りや願いと礼儀作法

なぜこれほどまでに祈願や参拝、信仰や祈祷において作法が重要視されるのか、今回は考えてみたい。通常、人には神や天使、あるいは菩薩や仏、守護霊や支配霊といった存在を肉眼でみることはできないので、一部の直感的に気づく者や見えてしまう者以外は、信仰に依るほかない。あるいは居ないものとして扱う。ところで、ここを読むのは日本語を解される方がほとんどであるから、おそらく一番馴染みが深いであろう神社に限ってこれから話を進めていくのだが、八百万の神というのはわりと人間っぽいところがある。喜怒哀楽もあるし、感情面でもさほど人と変わるところはないように思う。たとえば我々が、ある特定の神さまに何か願い事をしに行ったとしよう。その願いが、多くの人たちにとって善いものだと判断なさった神が、「よし、これほどまでに善い願いを私のもとに持ってきたのだから、ここはいっちょがんばるか」と一念発起なさって、動き始められる。真剣に動いておられる方ほど、その気持ちというのは強い。さて、ところが人間というのは意外と身勝手だから、自分の願いが簡単には叶わないと感じると、別の神や仏、酷いときにはご先祖さまにまで同じお願いをしはじめる。「なんとか私の願いをかなえてほしいんです。」そうすると、(仏さまはともかく)、その他の神やご先祖も重い腰をあげて動かれる。そうすると、同じ依頼に対するダブルブッキングが起こる。このとき、はじめの神に「ほかの神にも増援を願おうと思うのだが如何」ときちんと話を通していればよいのだが、普通、人間というのはいるかいないか分からない神に対してそこまでの敬意をはらっていない。(敬意をはらわないから願いを叶えて
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参拝前に心身を祓う古神道秘儀「内祓い」教えます ☆神様の前でクリアな状態になり貴方の素直な願いを届けられる☆

神社仏閣へ参拝する前に鳥居や山門の前できちんとお辞儀をしてから入られる神仏に対する礼儀を忘れないあなたに是非お教えしたい秘儀です。今回こっそりお教えする秘儀はその鳥居や門をくぐる前に心身を一気に清めることが出来る神社仏閣巡りに精通したあなたのための秘密の祝詞です。覚えると15秒ほどで終わりますが唱え終わった後はあなたの体も心も一気に浄化されたような清清しい心持ちになって寺社にお参りすることが出来るでしょう。しかもこの祝詞は唱える数が増えれば増えるだけあなたの心身が清らかに整っていくと伝えられており寺社に参拝する前だけではなく日常生活の中でも体と心の邪気を振り払うことが出来るとされています。古神道で昔から密かに伝承されてきた祝詞の秘儀をあなただけにお教えいたします。
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