国語講師のひとり言「国語で学ぶのは書き言葉の日本語」
『個別の授業で面と向かっては言いにくい話をコラムにしています。ですのでタイトルも「ひとり言」。日々の指導で気づいたあれこれを綴ります。』私が講座で担当している科目は「国語」です。決して「英語」ではありません。日本で教えていて「国語」ですから、これはすなわち「日本語」とイコールでしょう。ただひと口に「日本語」と言っても、これには大きく分けて2つあります。「話し言葉としての日本語」と「書き言葉としての日本語」ですね。そして私が教えているのは、「話し言葉としての日本語」ではありません。なぜなら、誰だって小学生にもなれば、すでに話す方の日本語は完ぺきだからです。目上の人に対する適切なしゃべり方、初対面の相手にもよくわかる理路整然とした話し方…こういうのまでマスターしているとはもちろん言いません。話す内容はまだまだ未熟かもしれませんが、文法、発音など言語の基本的な部分は早い段階で完成されています。ですから、話す方の日本語については、私ごときがあらためて付け足す部分などひとつもないことになります。教科としての「国語」が難しいのは、それが「書き言葉としての日本語」だからなんですね。ひらがな・カタカナはまだいいとして、そこに大量の漢字が加わりますから、文字を覚えるだけでひと苦労。文法だって、ふだんあまり意識しない「主語・述語」から始まり、「話し言葉としての日本語」とはずいぶん勝手が違います。おまけに読まされる文章は、言語芸術である小説や詩のたぐい。詩は本来朗読して味わうべきものでしょうが、中学受験で出される詩は、初めから書き言葉として書かれ、そう読まれることを想定した現代詩ですからね。論説文で
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