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時を越えて、あなたに会いに

第一話:浅間温泉での出会い太平洋戦争末期。信州・松本の浅間温泉に、五名の特攻隊員が滞在していました。彼らは、戦闘機の修理を兼ねながら、束の間の静養の時を過ごしていたのです。その中に、今野勝郎さんの姿がありました。同じ頃――その温泉地には、東京・世田谷から疎開してきた学童たちも滞在していました。のちに「鉛筆部隊」と呼ばれる子どもたちです。田中幸子さんも、その一人でした。同じ旅館で過ごすことになった特攻隊員と子どもたち。年齢も立場もまったく異なる者同士でしたが、不思議なほど、彼らはすぐに打ち解けていきました。隊員たちは、子どもたちと一緒に遊び、子どもたちは、そんな隊員たちを慕い、短い時間の中で、自然な交流が生まれていったのです。それは、戦時下であることを一瞬忘れてしまうほどの、穏やかなひとときでした。けれど――その時間が長く続かないことを、隊員たちは、すでに知っていました。やがて彼らは、浅間温泉を離れます。いよいよ、特攻出撃へ向けた準備のためでした。その頃――勝郎さんのもとへ、故郷からご両親が訪ねて来られます。息子の姿を一目見ようと、慰問に訪れたのでした。しかし――その後、ご両親が故郷へ戻る汽車の中で、車内放送によって、息子・今野勝郎さんの戦死が知らされたといいます。あまりにも突然で、あまりにも過酷な知らせでした。浅間温泉での出会い。子どもたちとの穏やかな時間。そして、親子の再会。そのすべては、あまりにも短く、そして、あまりにも深く、それぞれの心に刻まれることになりました。(つづく)
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えんぴつ部隊と特攻隊

3月27日は妻の大叔父、今野勝郎さんの命日です。昭和20年3月27日、特攻隊員・今野勝郎さんは、沖縄県慶良間列島沖で米駆逐艦に体当たりし、壮絶な戦死を遂げました。彼が所属していた「武克隊」は、特攻出撃の前、長野県の浅間温泉に滞在し、慰安と飛行機の整備を行っていました。当時、浅間温泉には、戦火を避けるために東京・世田谷から疎開してきた少年少女たちがいました。戦時中の厳しい環境の中でも、彼らは純粋な心を持ち、やがて特攻隊員たちと心を通わせるようになります。今野勝郎さんをはじめとする武克隊の若き兵士たちは、戦争という過酷な運命に向き合いながらも、束の間の時間の中で疎開児童たちと交流し、笑顔を交わし、時にはえんぴつを使って絵を描いたり、日々の思いをつづったりしました。この交流は、のちに「特攻隊とえんぴつ部隊」という絵本として描かれ、多くの人々に知られることとなります。また、数年前には「奇跡体験!アンビリーバボー」というテレビ番組でも取り上げられ、全国に放映されました。浅間温泉で過ごした日々は、特攻隊員たちにとっても、疎開していた少年少女たちにとっても、忘れがたい思い出として心に刻まれました。戦争という時代の中で交わされた、ひとときの温かな交流。その記憶は、今も語り継がれ、平和の尊さを私たちに伝え続けています。勝郎さんは、「にっこり笑って死んでいきますよ。あとの日本を頼みます。」という一文を彼らに宛てて、特攻に赴いて行きます。
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