絞り込み条件を変更する
検索条件を絞り込む

すべてのカテゴリ

2 件中 1 - 2 件表示
カバー画像

こんな気持ちでお別れなどしたくなかった・・・

前回の内容はこちら危篤状態から奇跡的に回復した父。そこからは入院生活で4か月ほど病状は安定していました。私もできるかぎり面会に行って話を聞いてあげたりしようとは思っていました。しかしこれまでの軋轢の積み重ねがずっしりとのしかかってくるのです。入院中のお金のやりくりや不足分の補填も当然やっていましたし私の中のモヤモヤは晴れることはありませんでした。いっぱいいっぱいの私の足は、父の病院から遠のくばかり。行かなきゃ行かないで、積もる罪悪感。しかしそのような生活は終焉を迎えます。再度病状悪化主治医の先生から2度目の発作ではもう延命できないといわれていた通り2度目の危篤脱出は叶いませんでした。気持ちの決着がつかぬまま、父とはお別れの時が来ました。母は葬儀の手配や段取り付けもできません(できないの一点張り)なので姉と私で取り仕切りました。預金、遺産もないのでわずかな死亡保険の中でやりくりしなきゃいけないにも関わらず、母は世間体を気にした「ちゃんとした」お葬式を要求してくるので終始イライラしていました。せっかく親子として今世を共にし、育ててもらった感謝で見送りの時を迎えたかったのに・・・複雑な思いばかりに満ちた不本意なお別れとなってしまいました。そしてそのあとには、何もできない母が残っています。つづく
0
カバー画像

こじれた親子関係の末の親の闘病

前回の内容はこちら父が危篤になったところで時系列はこちらに追いつきます。↓夫との関係性に気をすり減らし問題解決が出来ていないままの父は危篤。幸い危篤は脱し、その後4か月ほどの入院生活が続きました。母はお金の管理が全くできないので父から私が引き継ぎました。預金はほぼゼロ。それなのに個室に入れてくれと頼まれたりあれ食べたいこれ食べたい、面会は毎日来てほしいと要求は次々ありましたが、なんとかなだめつつやり過ごしていました。私が母を送迎できないとき、母は必ずタクシーを使います。このあたりも両親揃って金銭感覚がバグってるんです。でもその頃の私は付き添うよりタクシー代出して済むならそちらのほうが気持ち的に楽でした。つづく
0
2 件中 1 - 2